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「ケガをしてよかった」と繰り返したシェーファー アヴィ幸樹(シーホース三河)。コートにいない10カ月間で静かに描いた成長曲線

 

「驚異の成長曲線」が止まった。

202326日の大阪エヴェッサ戦、第1クォーターの開始33 秒のことだった。シェーファー アヴィ幸樹はファストブレイクからダンクを狙った場面で着地時に右の前十字靭帯断裂。顔を歪めて担架でコートを去る姿を、その場にいたすべての人、いや、日本中のバスケファンが祈りながら見送った。

あれから約10カ月。所属するシーホース三河はヘッドコーチが変わり、日本代表はワールドカップで悲願の勝どころか3勝を挙げ、パリオリンピックの出場権を獲得した。

周囲が猛スピードで変化していく中、どんな気持ちで過ごし、何を積み上げてきたのか。復帰間近のシェーファーに直撃した。

(インタビューは1月9日に収録)

 

Contents

 

ケガをしてよかった、と今は思っています

 

──シェーファー選手のシーホース三河でのキャッチフレーズは「驚異の成長曲線」です。その成長曲線が今回のケガで一時的に止まってしまった。復帰したシェーファー選手がここからどのような成長曲線を描いていくのか、三河のファン・ブースターだけでなく、日本のバスケットボールファンが注目していると思います。 

シェーファー:「驚異の成長曲線」と周りの皆さんが言ってくださって、自分でもすごく成長していると身をもって感じていました。僕は高校年からバスケットを始めて、競技歴が浅いので、成長の幅が大きいというのは当たり前ではあるのですが、それでもシーホース三河に加入して年目は全試合に出場して経験を積み、成長を実感できていました。

でも、年目、年目は少し伸び悩んでいるところがありました。僕はもともとインサイドで身体を張る選手でした。ところが3Pシュートを打ち始め、さらに日本代表でも3Pシュートの意識が強くなったことによって、本来の自分のスタイルが薄れて、プレーが中途半端になってしまった。スキル的に上達してはいるのですが、それがコートでのプレーにうまくつながらずモヤモヤしていました。自分の目指すべきところが分からなくなって、プレーヤーとしてレベルアップできていないと感じていました。

だから、ケガしてよかったと今は思っています。もちろんケガをしないことがベストですけど、ケガをしたことであらためて自分のプレーを見直し、もう一度自分の身体を作り直す、身体の使い方や動きを矯正することができました。ジャンプ力やスピードはまだケガ以前のレベルまで戻ってはいませんが、今まで使いきれていなかった部分を使えるようになり、身体の動きは以前よりもよくなっている手応えがあります。

三河に来てからケガをするまで、僕が欠場したのは202212月のファイティングイーグルス名古屋戦試合だけです。三河での3年間に何度も捻挫をしていますし、鼻の骨も回折っていますけど、それでもずっと出続けていました。身体が強いという自負はありましたし、なんなら一生大きなケガはしないと本気で信じていました。変な自信があったんですよ。だから今回、「ケガはするものだぞ。ちゃんと身体に気をつかえよ」と言われている気がして、ケガをしてよかったなあと。

ケガをしたということは身体の使い方が悪かったということですし、何かしらの理由がある。この先のキャリアを考えた時に、伸び悩んでいるこの時期にケガをしたのは、よいタイミングだったのかなと捉えています。

 

 

──思い出すのは辛いかもしれませんが、ケガをした時のことを聞かせていただけますか。

シェーファー:それまでは捻挫以外したことがなかったので、何が何だかわからない状態でした。ただ、今までに経験したことのない痛みだったので、これはやばいなと。直感的に靭帯をやっているかもと思いました。担架で運ばれて、チームドクターから「たぶん切れてるね」と言われた時は、やっぱそうだよなと。

 前十字靭帯を切った人は、あまり痛くないって言うんですよ。普通に歩けるし、そのままプレーを続ける人もいるくらいで。でも僕はめちゃくちゃ痛くて、立てないし、体重もかけられない。「嘘ついているでしょ、みんな」って思いました。でもその後もいろんな人に聞いたけれど、全然痛くなかったという人が多くて驚きました。

──ワールドカップのことが頭をよぎったりしましたか。

シェーファー:あの時はワールドカップのことなどは全く考えられなかったです。めちゃくちゃ痛かったですし、頭もぼーっとしていました。でも、あの試合は小学校から4人組で遊んでいた仲の良い友だち3人がすごく久しぶりに観に来てくれていて。それなのに、試合開始分で怪我をしてしまって、「うわ、申し訳ねえ」と。そのことは、ふと頭をよぎりました。 

──激痛の中で、他人のことを思いやれるのが、いかにもシェーファー選手らしいですね。

シェーファー:ケガをしたのが日曜日だったので、MRIができず。ほぼ90%以上切れているだろうとは言われたのですが、実際に検査するまではわからない。自分としてはわずかでも希望を持っていました。

翌日検査をして、断裂が発覚して。先のことを考え始めたのはそれからですね。家に帰って、ソファーに座って「はぁー」と一息ついた時は、自然と涙がこぼれてきました。

ケガをした直後は、選手としてもう一度プレーできるのかなとか、将来どうなるのかなとか、不安にもなりましたが、あまり長くは落ち込まなかったです。家族も僕を1人にしないように気を遣ってくれたので落ち込んでいる余裕はありませんでしたし、僕もなるべくポジティブに考えようとしていました。

──治療・リハビリは愛知県で行ったと聞いています。なるべくチームのそばでというお気持ちがあったのでしょうか。

シェーファー:シーズン中だったので、なるべくチームのそばでリハビリをしたいと考えていました。車の運転もできないので、家族に来てもらい、チームにもサポートしてもらいました。ありきたりですが、あらためていろいろな人に支えられていることを実感しました。

手術も執刀医ができるくらいの技術を持った先生が人入ってくださったみたいです。もしかしたら身長メートルセンチの人のひざはめったに見られないという研究対象としての側面もあったかもしれませんが(笑)、本当にありがたかったです。リハビリも人の方に関わってもらっていますし、本当に多くの人に助けられました。試合会場に行けば、皆さんが「待っているよ」「頑張って」と声をかけてくださいますし、本当にたくさんの人に応援していただいて感謝しています。

辛いことも含めて、いろいろな経験をすることができ、バスケットボール選手としてだけではなく、人間としても成長できました。

 

 

NBA式復帰プログラムで、心身ともに時間をかけて回復

 

──今シーズンの開幕前に一度お話を伺った時にライアン・リッチマンヘッドコーチ(HC)とNBA式のリハビリを始めたところだとおっしゃっていましたね。

シェーファー:そうでしたね。ライアン(リッチマン)がHCに就任し、NBAGリーグのケガをした選手の復帰プログラムを取り入れられたのは本当に幸運でした。復帰を急いだり、いきなり復帰したりすると、身体が大丈夫でもメンタルの部分の準備ができていない場合があります。今回はしっかりと時間をかけて、段階を踏んでやってくださっているので、リラックスして取り組めていますし、不安要素が全くありません。

──具体的にはどのように進めていったのですか。

シェーファー:当たり前というか、シンプルなんですけど、最初はハンドリングやシューティングのスキルワークから始めました。例えばシューティングであれば、ただシュートを数打つのではなく、フォームシューティングをすごく大事にして、基礎的なことを徹底的にやります。

面白いなと思ったのは、シュートを打つ際にジャンプをしないんです。しゃがんで体勢を整えて、正しく身体を使って、足から力をシュートまで伝えていきます。最初は近くから打って、徐々に距離を伸ばしていく。NBAの選手は3Pの位置から1、歩下がった、いわゆる4Pシュートをジャンプしないで打つそうです。自分もやってみたら、意外とできました。ジャンプすればさらに距離が伸びるので、NBA選手がハーフコートからシュートを決められるのは、そういうことなんだなと。

少しずつ動けるようになってきたら、コンタクトのあるゲーム形式の練習に入りますが、その前にコーチとでクローズアウトから少し動きを作って、どれだけ足が耐えられるか、どれだけ動けるかを試します。それで日〜日様子を見て、異常がないのを確認してから、次の週はコンタクトのあるポストでのをやる。現役時代にセンターとしてプレーしていた、アカデミーの嶋田基志コーチを相手に、少しずつコンタクトに慣れていきました。どうしても疲労が溜まると痛みが出やすくなるので、様子を見ながら丁寧に、慎重に、少しずつ。次は選手との1対。そこから2対2。3対3と増やして、現段階では4対4、5対5まできていて。今はテイ(ガードナー)やザック(オーガスト)ともマッチアップしていますし、ほとんどのチーム練習に参加できています。

──フィジカルが戻っても、メンタルの部分が回復せず苦労する選手も少なくないと聞きます。フィジカルとメンタルの不安を同時に取り除きながら進めるのが面白いですね。

シェーファー:いわゆるゲーム勘と言われる部分も、いきなりでやったらわけがわからなくなってしまうので、と他の選手がいる中でどれくらい周りを見られるか、どれくらい身体が動くか確認しながら、ちょっとずつ戻していくので、自分としてはすごくやりやすかったです。

 

身体の使い方を一から見直し、ケガ前よりもいい状態に

 

──怖さはないのですか。

シェーファー:全くないです。ひざもプレー中は全く気にならないレベルまできています。それはライアンが順番に不安要素を取り除いていってくれたこともありますし、すごくきついトレーニングをしてきたのだから大丈夫と自信を持てているからだと思います。

少し戻るんですけど、リハビリの段階において、三河のチームドクターの與田正樹先生、よだ整形外科さんにも手厚く見ていただいたのですが、それとは別に京都にある鍼灸院SATO.SPORTSの佐藤義人さんを紹介してもらって通い始めたんです。

佐藤さんはラグビーの日本代表のアスレティックトレーナーをされている方で、ラグビーやサッカー、大相撲など様々な競技のトップアスリートのリハビリを担当されています。中には、2022年の月に前十字靭帯断裂を負って、去年のラグビーワールドカップで活躍された選手もいるので、すごく励みになりました。

そこで体の使い方を一から学びました。佐藤さんのトレーニング方法は今までのやり方とは全く違って、すごく面白いんですよ。前十字靭帯を断裂すると、手術の後年くらいは膝の上の筋肉が落ちやすいんだそうです。その状態でレッグエクステンションなどの脚のトレーニングを行うと、他の筋肉が頑張ってしまう。そうすると、別のところに負荷がかかって痛めてしまうことがある。だから、佐藤さん独自の、ひざの上の筋肉をピンポイントで鍛えるメニューを毎日行い、脚全体をバランスよく鍛えていきます。

しかも、このメニューがめちゃくちゃきつい。それこそラグビー選手とか体格のいいアスリートがヒーヒー言いながらやっている。単純にトレーニングの量もすごく増えましたし、身体のメンテナンスにかける時間も増えました。これだけやってきたのだから大丈夫だと思えるので、不安はないですね。

──SATO.SPORTSさんにはどれくらいのペースで通われているのですか。

シェーファー:手術したのが月半ばで、月の頭に初めて行って。それから月に回のペースで通いました。毎日15分間、自分でひざを整えるメニューを行って、佐藤さんにそのフィードバックをもらうという形で進めていきました。あと、11月の千葉ジェッツ戦でチームが1週間遠征していた時と11月のバイウィークの度、日間連続で通いました。そのときは劇的に身体が変わりましたね。今も月に回のペースで行っていて、それが少しずつ実を結んでいる手応えがあります。身体への関心も高くなって、コートの上での動き方も自分なりに研究しました。身体をすごくスムーズに動かせるようになった感じています。

他の競技のトップアスリートと一緒にトレーニングを行う機会があって、すごく刺激をもらいました。競技によって身体の使い方が全く違うので、どういう身体にしたいのかも変わってくる。いろいろな世界を見られて、視野が広がりました。

──ケガをする前は、Bリーグに日本代表にと、ほとんど休みがない状態だったので、バスケ以外のことを考える時間はあまり取れなかったですよね。

シェーファー:家族にも「最近はリラックスしていて、表情もすごくいいね」とよく言われるんですよ。ケガをする前はずっと休みなくバスケをしていましたし、プレッシャーもあったので、自分が感じている以上に身体もメンタルも疲労していたと思うんです。だから、一度リフレッシュできて、今は心身ともにとてもいい状態にあるのかなと思います。

 

「もう少し、待っていてください」

 

──インタビューの冒頭で、ケガによって成長曲線が止まったと言ってしまいましたが、実は私たちからは見えない場所で静かに伸びていたんですね。ますます復帰が楽しみになりました。

シェーファー:11月のFE名古屋戦でケガをして以来初めてファン・ブースターの前で動いている姿を見せたので、「バイウイーク明けに帰ってくるか?」「年内復帰あるか?」みたいな雰囲気が出てきて。「さすがにまだなんだけどな」と思いながら、SNSの投稿などを見て楽しませてもらっていました

待っていてくださっている方がたくさんいることをあらためて感じていますし、「もうちょっと待っていてください」という気持ちです。自分もすごくワクワクしています。早くプレーがしたい!

(取材・文、写真:山田智子)

 

【後編】シェーファー アヴィ幸樹(シーホース三河)がここから新たに描く成長曲線 「自分がいなかった時よりいい成績を残して、優勝する」

 

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