「目標は優勝すること。本気で狙いに行く気持ちでやっていきたい」【三遠ネオフェニックス・佐々木隆成選手インタビュー】
2028年ロサンゼルス五輪を目指す “新生ホーバスジャパン”の船出となったアジア杯予選で、存在感を示した三遠ネオフェニックスの佐々木隆成選手。B2・熊本ヴォルターズから加入し、三遠ネオフェニックスで急成長を遂げた司令塔は、パリ五輪に同行してどんな学びを得て、新たなシーズンに挑もうとしているのか。3シーズン前まで時計を戻して、本人の言葉とともにその軌跡を辿った。
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大野HCから信頼されていると感じることが自信に
―私が初めて佐々木選手のプレーを観たのは、2021-22シーズンB2プレーオフのファイティングイーグルス名古屋(以下、FE名古屋)戦でした。身体能力が高く、素晴らしい選手だなと印象に残っていました。そのオフに三遠ネオフェニックス(以下、三遠)に移籍し、今シーズンで在籍3年目となります。かなり遡ってしまいますが、まずは三遠への移籍の経緯から聞かせてください。
佐々木隆成選手(以下、佐々木):僕は記憶が「ロケット鉛筆」みたいに、新しく入ってくると以前の記憶がどこかに行ってしまうので、当時のことはあまり覚えていないんですけど……(笑)。
そもそもその試合で、熊本ヴォルターズ(以下、熊本)が勝っていたらB1に上がれたので、その場合は熊本に残ろうと考えていました。でも、FE名古屋に負けてしまって。そろそろB1でプレーしたいなという気持ちがあったので、移籍を考えていました。
そんな中で、プレーオフが終わった後に、スキルディベロップメントコーチの大村将基さんから電話をもらって。「まだどこのチームかは言えないけれど、大野(篤史)ヘッドコーチ(HC)と当時の千葉ジェッツ(以下、千葉J)のスタッフが別のチームに移籍するので、ぜひそこで一緒にやりたいから頭に入れておいてほしい」と言われて、「わかりました」という感じでした。その後、大野さんからも電話をいただいて、「一緒にやりたい」というようなことを言われた記憶があります。B2でプレーしている僕からしたら、B1のトップチームのHCと電話するだけでも緊張しましたけど、ものすごくいい話だなと決断しました。それが三遠だったということです。
―天理大学時代に大阪エヴェッサ(以下、大阪)の特別指定選手として活動しました。そのままB1のチームに行くことは考えなかったのですか。
佐々木:B1でプレーしたいとは考えていましたが、大阪でも試合に出られていなかったので、エージェントの方から「最初はB2で、そこで結果を残したらB1から声がかかるから、段階を踏んで上がっていく方がいいのでは」という構想を提案されて、それを選んだという感じです。その判断は間違っていなかったと思っています。
―三遠に移籍後すぐに活躍できたのは、B2でしっかりと力をつけて、満を持してB1の舞台に乗り込んできたからだったのですね。
佐々木:いや、B1で通用するのかは全くわからなかったです。最初はロールプレーヤーとして、出ても10分くらいかなと思っていました。そこから時間をかけてプレータイムを掴んでいくものだという感覚を持っていました。
でも、大野さんが「ロールプレーヤーじゃなく、メインで考えている」と言ってくれて。時間はかかりましたけど、だんだんと気持ちが変わっていきました。だから、最初は怒られてばかりでしたね。
―どんなことで怒られることが多かったのですか。
佐々木:大野さんからよく言われたのは「ボールを持ってクリエイトしてほしい」ということ。でも僕は自分をロールプレーヤーだと思っていたので、ボールを離してコーナーで待っていたり、ショットクロックがなくなってきた時にも自分でシュートを打たずにパスを出して、「打て」と怒られたり。そういうギャップがありました。
大野さんから言われ続けていたので、頭ではわかっているんですけど、ロールプレーヤーだと思って入ってきているので、慣れるまでに半年くらいはかかりました。「お前の仕事はシュートを打つことだ」「打て」「打て」「打てよ」と本当に怒られましたね。
―今のお話を聞くと、B1でも通用すると手応えを感じたのは、慣れてきた半年後くらいからですか。
佐々木:移籍してきた年の開幕戦が浜松アリーナでの川崎ブレイブサンダース戦だったのですが、その時から「ある程度やれるな」という手応えはありました。それは、B1のチームと実際に対戦をしてみて感じたというよりは、大野さんや優勝を経験している元千葉Jのスタッフが僕の練習を見て、「お前はメインとしてやれるぞ」と言ってくれていることで、「できるんだろうな」という気持ちになれたというメンタルの部分が大きかったです
―佐々木選手に聞くのもおかしな話かもしれませんが、大野HCは選手一人一人の強みを引き出すのに長けているコーチだと思います。他の指導者とはどのような違いがありますか。
佐々木:「信頼されているな」と感じることがものすごく多くあるんですね。怒られる時はめちゃくちゃ怒られますけど、自分にもっと良くなってほしいから言ってくれているというのが伝わるんです。そこはすごく大きいと思います。
スキル面については、優秀なスタッフがたくさんいて、例えばスキルコーチの将基さんがつきっきりでワークをしてくれますし、三遠に来てからの2年間はずっと成長できているという手応えを感じています。
―スキル面で成長を感じているのはどんな部分ですか?
佐々木:プルアップの3Pシュートは、B2にいた時よりも確実に上手くなりました。B2の時はピック&ロールを使ってドライブをするか、プルアップの2Pジャンパーが多かったんですけど、昨シーズンはほとんどロング2Pを打っていません。
―おっしゃる通り、1年目の2022-23シーズンは、2Pのアテンプトが217本で3Pが181本でしたが、昨シーズンは2Pが148本、3Pが209本と比率が大きく変化しています。
佐々木:三遠に来て最初のワークアウトで、将基さんに「3Pシュートの本数を増やしたい。それが仕事だ」と伝えられたので、それを遂行しているだけです。だからこそ、ワークアウトでプルアップの3Pシュートを磨いてきましたし、ピックからどのようなバリエーションで3Pシュートを増やしていくかも練習してきました。
―その成果もあって、昨シーズンは2Pの成功率が62.2%、3Pシュートが37.8%と上がっているんですね。
佐々木:2Pシュートに関しては、ロング2Pが減ってほとんどがレイアップになったことが大きいと思います。
パリ五輪で世界トップ選手のプレーを間近で見て多くを学んだ
―そのような三遠での成長が評価されて、昨シーズンは日本代表に初選出されました。
佐々木:最初は5月にデベロップメントキャンプに呼んでいただいたのですが、それがどんなキャンプなのかもわかっていませんでした。高校生もいましたし、若手のキャンプと言われても、僕は上から2番目でしたし…。だからまさか次のキャンプも…とは思っていなかったのでびっくりしましたが、気がついたら(パリ五輪日本代表候補の)最後の16人まで残っていたという感じでした。
実はその間に、結構ひどい捻挫をしたんですよ。その時は「ここで終わりだな」と思ったんですけど、トムさん(ホーバスHC)と話をして、「もし2週間後の北海道遠征までに動けるようになるんだったら残ってほしい」と言われました。それで、NTC(ナショナルトレーニングセンター)に残って、トレーナーさんとリハビリをして、フルで練習に戻れたのは、オーストラリア代表戦の前日でした。
ーそんな綱渡りだったんですね。でもその翌日の代表デビュー戦で初得点を挙げました。デビュー戦はいかがでしたか?
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