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夏に向けて② 科技高豊田の二葉祐貴監督(PL学園-トヨタ自動車)にお話を伺いました。

2024年の夏に向けて、注目の監督や選手にお話を伺う企画の第2弾として科技高豊田の二葉祐貴監督にこの度取材をいたしました。

トヨタ自動車のキャッチャーとして長年活躍を続けた二葉さん。その後亜細亜大でコーチとして勉強され、2021年から科技高豊田の監督を務めます。
そもそも科技高豊田とはどういう学校なのか、その辺りも伺いつつ、監督になった経緯、春の課題、PL学園高校時代の話やトヨタ自動車での話も伺いました。

※二葉祐貴監督プロフィール

1985年生まれ。捕手として注目を集め、羽曳野ボーイズからPL学園へ進む。1年生の時にいきなりチームが謹慎による辞退という悲劇が発生。PL学園としての過渡期を過ごし、3年生の時の2003年夏に甲子園へ出場。同期に広島で活躍した小窪哲也選手(現広島コーチ)がいる。
PL学園卒業後、トヨタ自動車に入社。2年目から正捕手に抜擢されると巧みなリードとパンチ力を秘めた打撃で10年間正捕手として活躍。2007年には日本選手権で初優勝し、そこから08、10、14年と4度の日本一に輝く。都市対抗野球では2009年に準優勝があったものの、なかなか優勝には届かなかったが、現役最後となった2016年に都市対抗優勝を達成。現役引退後、翌年から亜細亜大へコーチとして参加し、生田勉監督(当時)のもと学生野球のコーチングを学ぶ。2020年に科技高豊田のコーチへ就任。2021年から監督として采配を振るう。

科技高豊田 新チーム後のチーム成績

2023年秋

1次
〇10-0安城農林
〇12-3幸田
●2-9刈谷
〇2X-1岡崎(延長11回タイブレーク)

2次
●3-8岡崎工科

2024年春

1次
〇4X-3猿投農林
●11-12吉良
〇7X-6岡崎西
〇6-1岡崎北

2次
●1-3岡崎城西

〇春を振り返って

まずはこの春の戦いを振り返っていただきました。
「バットが変わったからとかではなく、それ以前からバント、走塁は大事にしているのですが、より生徒が身をもって実感をしたのではないかと。これは毎年のことですが3月は学校のカリキュラムの関係で平日に全く練習が出来ない。週末に練習試合は行うのですが、そこで細かいプレーでの失敗が目立ち、その不安を抱えたまま公式戦へ突入。結局本番でも四死球、守備のミス、バントミスが目立ってしまいました」。

新基準のバットでの戦いについては「うちは長距離を打つ選手がいないので、そんなに影響はないです。その中でライナー性の打球を打つ、ランナーを進めるなど、チームバッティングを理解して行動に移せる選手を増やさないといけない。ただ単に振って、投げてとやっていても勝てないと日頃から言い続けていますが、改めて思い知りました」と分析する。
「課題は山積みですが、防げるミスは改善し、自分たちで苦しめる要素を減らしたいですね」と夏を見据えます。

二葉監督のノックで守備強化を図る

〇科技高豊田ってどんな学校?

学校のカリキュラムの話がありました。そもそも科技高豊田ってどんな学校なのでしょうか?

まず大枠として、科技高豊田(科学技術学園高等学校豊田)の生徒は、「トヨタ工業学園」の生徒でもあります。トヨタ自動車が運営する企業内訓練校「トヨタ工業学園」と通信制の科学技術学園高校が1967年、連携教育を開始。本校生徒はトヨタ工業学園の生徒でもあり、科学技術学園高校の生徒でもあるという形になります。生徒はトヨタの仕事も学びつつ、高校の学習課程も学んでいます。

なお、トヨタ工業学園の歴史は古く、開校は1938年。3年過程の高等部を運営している企業は現在全国でも4校しかないといい(トヨタ自動車、デンソー、日野自動車、日立)、生徒の規模は科技高豊田が最も大きいそうです。(近年130名/学年 採用予定)

野球部としては1985年に日本高等学校野球連盟に加盟しました。

「3年間しっかりと学び、その後、生産現場のリーダーとして引っ張っていけるように育てるのがこの学校の大きな意義。トヨタ自動車の社員として採用され、その中で高校生としての一般教養、トヨタの仕事を学ぶということが生徒たちの仕事となります。2年生になると実際に製造ラインに入り、他の社員と同じようにお客様の製品を作ります。寮もあり、学校や工場に行く際には全て会社バスで移動。そういう環境も整っている学校です」。

初めて知りました、と二葉監督に伝えると「私もトヨタ自動車に入社した時に初めて知りました。人事異動がありトヨタ工業学園に異動してから詳しく知るようになりましたね」と笑顔を見せながら教えてくださいました。

科学技術学園の生徒でもあり、トヨタ工業学園の生徒でもある選手たち。

〇練習環境は?

豊田市のトヨタスポーツセンターには広大な敷地内にたくさんのスポーツ施設が存在し、科技高豊田の生徒が学ぶ場もここにあります。

たくさんの施設があるトヨタスポーツセンター。学園の勉強施設もここにあります。

野球場は第1と第2が存在し、第1野球場は社会人のトヨタ自動車硬式チームが使い、第2野球場は科技高豊田の野球部が主に使用。

第2野球場もかなり整備が進み、LEDの照明は公式戦を行う球場よりも明るいレベルだとか。
二葉監督が就任されたから整備が進んだのですか?と伺うと「ただの老朽整備です(笑)」とのこと。

グランド、LEDの照明などグランド環境は恵まれている。

練習時間はカリキュラムの関係で違うことも多いが基本は15時から18時の間に練習。学年によって実習があると参加できなかったりすることもあるそうで、練習に伺った日も2年生は実習で不参加。1年生は科学技術学園の入学式という日で3年生のみの練習日でした。
選手たちは寮へ帰るバスの時間もあるので、練習終了の時間はずらせないので、実際に練習ができる時間は1時間30分くらいの日も多いそうです。

「大会前に追い込むために長時間練習というのは出来ないし、もっというと土日の練習も本来は会社としては休み。ですから強制的に練習参加というのは出来ないことになる。限られた時間でどれだけやれるか。働きながら、ものを作りながら野球をやるという高校は他にはない。こういう珍しい環境の選手たちでもできるというのを社内にも、社外にも証明したい」と力を込めます。

〇技能五輪を目指す選手も

昨年の夏に若林徹太捕手という、注目を集める選手がいました。下級生の頃から活躍が目立ち、NPBも狙えるかも、と私が個人的に思っていた選手。ただ、最後の夏に肩を痛めたこともあり、昨夏で野球を引退したとのこと。

2023年夏の菊華戦での若林徹太捕手

科技高豊田の場合、トヨタ自動車の企業内訓練校という位置づけなので、硬式野球を続ける場合はNPBに進むか、社会人のトヨタ自動車の硬式チームに選ばれるしか選択肢がない。

若林選手が野球を続けていたら、と空想してしまいます。そうお伝えすると「実はトヨタには技能五輪を目指すというカリキュラムがあり、若林は木を切り取って、磨いて色々な形にデザインする競技『試作モデル製作』という競技の選手になっています。バッテリーを組んでいた菅田(翔太投手)は車体塗装の選手になっていて、技能五輪バッテリーとなっています(笑)。まだ勝負の世界にいるんですよね。それこそ国内でチャンピオンになると国際大会もあります。うちにはそういう道もある。今の2年生にも技能五輪に3名選出されています。その生徒たちも野球と二足の草鞋を履いて頑張っていますね」と目を細めます。

〇トヨタの情熱の赤

二葉監督が就任後、ユニフォームが社会人チームのトヨタ自動車と同じ赤に変更されます。
トヨタカラーに変えたんですねとお聞きすると「情熱の赤です!」と訂正されました(笑)。

赤に変更したのは将来トヨタの社員として、モノづくりの現場でリーダーとして引っ張っていく、そういう情熱をもって諦めない精神を体現しているのがこの“情熱の赤”だから。“情熱”“ネバーギブアップ”というのはトヨタの精神。そういう人材をしっかりと育てることが目標となる。その決意を示すために、一番最初の監督の仕事がこの“情熱の赤”のユニフォームに変えることだったそうです。

「取り組む姿勢や心構えは、これまで妥協せずにしっかりと出来るようにやってきました。私も高校野球、社会人野球とやってきて、一発勝負の世界で生きてきたので、ワンプレーで変わるし取り組みで変わるのを体験してきました。その中で大事なのは基本。そこを徹底していきたい」と意気込みを口にします。

トヨタ自動車の情熱の赤を背負って練習に励む選手たち

〇監督になった経緯

「トヨタ自動車で13年間やりましたが、11年目くらいの時から色々会社でセカンドキャリアの話が出るようになった。その頃に亜細亜大とキャンプで一緒に練習を行う機会があり、野球部の当時のGMと前乗りして参加。当時の生田勉監督とじっくり話す機会がありました。その時にセカンドキャリアの話になり、引退した後コーチとしてうちにこないか、という話を言っていただいた。ただその時点ではまだ野球部の中で木下(拓哉/高知-法政大-中日)が入ってきていたが、他のキャッチャーが育っていない状況だったので、現役を続ける選択をしました」。

「その後、細山田(武史/鹿児島城西-早稲田大-DeNAなど・現トヨタ自動車コーチ)が入ってきた。私も怪我をしたこともあって、引退も現実的な状況に。ただどうしても都市対抗は優勝したいという思いがあった(チームとして日本選手権は4度優勝していたが、都市対抗は2009年の準優勝が当時最高成績)ので、何とか2016年の都市対抗直前に怪我から復帰。当時の豊田章男社長にも胴上げをするとお約束をしていたのですが、優勝してそれも果たせたので心置きなく引退をして亜細亜大のコーチへという道に進むことになりました」。

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