“祝ヨゴスポーツ出演!?”ヨゴスポーツの余語充さんに色々聞いてみた。
先日YouTubeチャンネル『ヨゴスポーツ』さんに出演させていただきました。
その時の番組はこちら。
夏の愛知大会の振り返りを中心にお話させていただいております。
せっかくなのでコラボを、ということで、愛知野球通信plusではヨゴスポーツの余語充さんに色々お話を聞いていきました。
目次
・始めたきっかけ
・余語将馬さんとの関係
・余語充さんの野球遍歴
・今後の展望
◇ヨゴスポーツを始めたきっかけ
ヨゴスポーツを始めたのは2022年の1月1日から。覚えやすく元日からスタートさせたとのことでしたが、そもそもどうしてYouTubeをやろうとなったのか。
「大学まで野球を続けて、その後は銀行に就職。途中転職もありましたが、金融関係の仕事を約7年行いました。ただ、その間にコロナ禍が発生。在宅で仕事をすることが増え、家にいなければいけないという時期。ふと自分の人生を振り返りたくなり、Wordでつらつらと自分の歩みを書き出していきました。就職後は草野球をごくたまにやるくらいでほぼ野球から離れていたのですが、過去を思い出していく中、あらためて野球が好きだ、携わりたいと思うように。そこから相方の余語将馬に連絡して、色々話をするうちに、2人でだったら色々やれるかもという話になり、その時は自分、東京にいたのですが、地元に帰って一緒に活動をしていくことになりました」。
余語将馬さんとは小学生の時の野球のチームメート。そのチームは今では無くなっているそうで、それも大きなきっかけの一つだったとか。
「小牧市等、この地域は当時野球が盛んでした。それが人口減少や少子化の波があり、自分たちのいた野球チームも無くなってしまった。そんな小牧市を活気づけたいという思いが一番大きかった」と話す。
「ゆくゆくは中学の軟式野球チームを作りたい。自分たちに相談すれば野球も上手くなるし進路の相談にも乗ってもらえる。子供たちにとってのアドバイザーのような立ち位置になりたいと思っています。そのための認知度をあげるためにYouTubeを始めたというのが大きな理由ですね」と夢を語ります。
◇余語将馬さんとの関係
余語充さんが相方と呼ぶ余語将馬さんとの関係は3歳の保育園の頃から。中学校からは別々の道を歩み、高校でも充さんが愛工大名電。将馬さんが誉へと進学します。
なぜ将馬さんと一緒にYouTube等の活動をしようと思ったのか。「彼は継続力がすごいんですよね。中部大学でも野球を続けたがレギュラーではなかった。それでもNPBを目指して、エディオンブリッツというクラブチームに進み、5年間野球に取り組んだ。こつこつと続けられる彼となら飽き性の僕でも新しいことも継続していけるかなと」とその理由を説明。
同じ苗字ですが、親戚ではないとのこと。「小牧市の一部の地域で多い苗字なんですよね。そんな2人が中学からは別々の道を歩み、高校野球の3年生の夏で対戦という形で交わる。そんなドラマ性はそうそうあることではないですし、一緒にやっていくことで、新たなドラマや道を作っていけるのではないか。そんな風に考えました」と力を込める。
将馬さんは現役引退後も野球一筋でやってきた。今は野球塾の先生をしながら、中学野球にも携わる。そんな彼に一目置く充さん。
「自分は主役にならないといけない世界が好き。ピッチャーをやっていたのもそれが大きかったと思う。そんな自分とコツコツやれる彼とで上手く長所を生かせたらいいチームになっていくかなと思っている」と自信をのぞかせる。
◇余語充さんの野球遍歴
中学時代はクラブチームではなく、篠岡中学校の野球部だった充さん。本人は「逃げた」と表現。
将馬さんはボーイズに進んで野球中心の生活となっていったのに対し、充さんは「勉強は好きでしたし、そこまで野球だけにならなくてもいいかなと思ったんですよね。普通の中学の軟式野球部でしたし、高校も公立高校を受験して進むつもりでした」。
そんな充さんに転機が。ある時愛工大名電のスカウトの眼にとまり、声がかかる。練習参加をした際に136㎞を出したそうで「愛工大名電に入れるとなってからも悩みました。そこまでは野球を一生懸命やろうという決心をしていなかったので。それでも当時甲子園にも出ていた愛工大名電から声がかかったのなら勝負しよう」と決心をして進学することになりました。
入ってからは「カルチャーショックの連続です。寮生活の上でかなり生活指導を受けました」と笑いを誘う。
ただ、ブルペンに入ってしまえばそん色ないと感じていたそうで、「軟式から硬式に変わったことも特に違和感はなかったですし1年の秋には140㎞が出ました。こと野球に関しては順調だったと思います」。
しかし結局3年間、甲子園でプレーは出来なかった。1年の夏(2007年)、チームは甲子園に出場したものの、ベンチ入りできずにスタンド応援。1年秋からはベンチに入るも東海大会で初戦敗退。2年の夏(2008年)は準々決勝で甲子園に出た東邦にコールド負け。2年秋は県大会の3回戦で愛産大工に競り負け敗退。3年の最後の夏(2009年)は中京大中京に準々決勝でまさかの5回コールド負け。ある意味伝説ともなっている試合。中京大中京はその後全国制覇をすることになるわけですが・・・。「人生最大の挫折でした。悔しい、無念。もう頭が真っ白になった」と当時の心境を語ります。
高校卒業後は立命館大学に進学。本人曰く「だらしない生活を送っていました」と苦笑い。「高校では野球一筋で必死に取り組みながら、結果甲子園に行けなかった。頑張っても意味ないじゃんみたいな心境だった。言い方は悪いですが、大学では抜きながら、遊びながらやっていたというのが本音」。
それでも大学の3年生には主戦となり、リーグ戦で4勝無敗と結果を出す。チームは全日本大学選手権に出場して東京ドームのマウンドを経験した。「龍谷大の古本武尊選手(福岡大大濠-龍谷大-中日ドラゴンズーホンダ鈴鹿)にレフトフェンス直撃のタイムリー2ベースを打たれてそれをきっかけに炎上。大事なところで弱いんですよね」と自虐的に笑う。
そういう経緯もあって、NPB入りはどこか諦めていた。「社会人チームからはいくつか声がかかっていたが、4年春に怪我もあって不調となった。なんとなくそこで野球はもういいと見切りをつけ、普通に就職活動をしました。銀行に受かって真面目に働くように」。そこから野球とは距離を置いて過ごすことになっていきます。
◇今後の展望
ヨゴスポーツのコンセプトは“地元密着と野球”。小牧市を中心に活動する。「世の中には野球を取り扱う競合チャンネルは多いですし、元プロの選手や甲子園で活躍した有名な人には知名度ではかなわない。ただ、小牧市等、地域を限定すれば、野球のちょっとうまいお兄ちゃんとしてなら、十分認知してもらえるかなと。そんなコンセプトで2年半以上続けてきました。最近はチャンネルを見てくれる人も増えて、球場で声をかけてもらったり、コメントも増えた。そういうことでモチベーションも上がって続けられています」。
どちらかというと、小牧市にまつわることが多くて、高校野球はこれまであまり扱っていなかった。その流れが変わったのは昨年秋の小牧南の快進撃だった。
「小牧南の快進撃から、感動と多くの気づきを僕ももらいました。ここをきっかけに高校野球を多く取り扱うようになりましたし、高校野球はやはりファンが多いということで、私学4強特集や進路をどうするか等、人気企画につながっていきました」。
秋に小牧南を取り扱う際には、愛知県高野連の鶴田理事長のところにもご挨拶に行ったとか。「YouTubeでどういう風に高校野球を取り扱うなら大丈夫か。直接質問をして確認しました。今はSNSについて特に愛知県の高野連は厳しくなっていますが、それを踏まえて作っていけるようにしています」と頷く。
鶴田理事長には感心されたそうで「『こうやってわざわざ確認として来る人はなかなかいないよ』と言われました(笑)。これからも筋をきちんと通したうえで面白い企画に取り組んでいきたい」と夢を語りました。
今回私もヨゴスポーツさんに出演させていただきました。
元々こういったウェブマガジンとは違う形で、みなさんに広く知ってもらう方法もやってみたいと思っていましたし、真摯な形で野球の番組を作っているヨゴスポーツさんに出てみたいと思ったのが話のきっかけでした。
今後もいい形でコラボとかしていけたらと思っています。
これからの「ヨゴスポーツ」、そして「愛知野球通信plus」にご期待くださいませ。