愛知県高校野球 2年生の有望選手特集⑭ 名古屋たちばな 織田優太投手 “負けん気と責任感の強さで成長する県内屈指の左腕”
名古屋たちばなの三本柱。左の快速球投手。織田優太投手編となります。
1年の秋にエースナンバーを背負い、その球威でイニングと同じくらいの三振を奪う(1年の秋以降の県大会以上の試合にて通算29回1/3で29奪三振)。質のいいまっすぐでNPBのスカウトも注目する左腕に迫りました。

名古屋たちばな 織田優太 投手
織田投手の名前が最初に知れ渡ることになったのは1年の秋での中京大中京戦。この試合で織田投手は3回から2番手で登板。3イニングを投げて1安打2奪三振、MAX136km/hをマークする。「この試合で急に球速が出ました。中京大中京を抑えて自信が持てるようになった」。続く愛工大名電戦でも先発して4回1/3を2安打無失点で5奪三振。チームは0-1で敗れたものの、愛知県に織田投手あり、と1年の秋から広く認知されることとなった。

1年の秋の中京大中京戦で力投をする織田投手
〇子供の頃から名古屋たちばな入学まで
そんな織田投手が野球を始めたのは4つ上の兄の影響から。小学3年生のころだった。入ったチームは軟式のJAPAN岡崎。中学では岩津中の軟式野球部で活動する。その後、コロナ禍の影響で野球部の活動が滞ったため、岡崎北部クラブで野球を続けることに。その岡崎北部クラブの関係者と名古屋たちばな(当時は愛産大工)の鈴木将吾監督のつながりで、愛産大工へ進学を決める。
「当時は正直野球を続けようか悩んでいました。ただ、勉強もそんなに自信がないので、だったら野球を頑張っていく方が楽しいし、将来につながるかなと考えて、野球をここまでやってきた感じです」と冷静に話す。
中学の時はピッチャーかセンター。投げる球は120km/hくらいで特別目立つ存在ではなかったという織田投手は、高校でその才能が開花していくこととなる。
〇高校で成長
高校入学してまずは硬式に慣れるところからスタート。最初は違和感があったが、すぐに慣れたという。「5月くらいからは普通に投げ始めました。あるタイミングで急に130km/hが出た。体重が増えたら勝手に球速が上がった印象です」。1年の秋はエースナンバーを背負い、県大会で登板。チームの中心投手となっていく。
武器はまっすぐ。自身のまっすぐのことを「きれいな回転だと思う。相手のバッターが詰まることが多いですし。ここぞで投げるのはまっすぐ」。
中学の頃は味方のミスや自身の四球にキレたりしていたそうで「そういうのはあまり出さないようになったのは成長したかなと思う」と自己分析をする。
〇印象に残る試合
印象に残った試合は2年の夏の中京大中京戦と秋の東海大会での中京(岐阜)戦を挙げた。
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