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東海地区大学・社会人有望選手特集⑥ 愛知学院大 河野優作投手 “変則タフネス左腕はかつての王者を10年ぶりの全国へ導くか”

今年の愛知大学リーグは中京大が中心と先日の記事で書いたものの、昨年のように混戦になる可能性も高いと思います。
昨年のチームから、レギュラーが多く残っているのは、中京大愛知学院大の2校。
愛知学院大としてはキャッチャーの末田龍祐選手(JFE西日本へ入社)の穴がしっかりと埋まれば、2015年以来の全国大会も夢じゃない戦力。
そんなチームで昨年に続き今年もフル回転の活躍を期待される河野優作投手に話を伺いました。

昨年秋に行われた大学日本代表候補合宿にも参加。今年はドラフト指名を目指しての1年となります。

愛知学院大 河野優作 投手

〇大学で肉体改造

今の身長体重を聞くと、180㎝で90㎏

入ったころは細身の印象だった。当時の体重を聞くと「66㎏ぐらいでした。細かったと思います」。
そこからコツコツと身体を作りながら、体重を増やしていく。昨年の春の時点で85㎏まで増量。「85㎏で動けたので、90㎏まで上げていこうかな」とこの冬にさらに増やして、目標の90㎏に到達したという。

体質的には太れないタイプ。そこから増量に成功した秘訣は。

「最初は1回の食事の量を増やしていたのですが、思ったように増えない。だったら回数を増やそうと1日の食事を最低6回に増やしました」。

朝ごはんを2回(7時と10時)。お昼ごはんを食べて、15時くらいにまた食べる。夜ご飯前に食べて、夜ご飯を食べる。寝る前に食べられそうだったら食べてその時は7食となる。1回の量は「そんなに多くない」そうですが、これで目標を達成。体重が増えないと悩む方はご参考にしてください。

ここから適正体重を探りながら、春のリーグ戦に向けて調整していくという。「落とそうと思ったらすぐに落ちるタイプですから」と笑顔をみせた。

〇中学までは遊びが中心?野球だけはまじめに行っていた

出身は大阪市平野区。野球は小学1年から始める。友達に誘われたのがきっかけだった。ただ入ったチームがあまり強くなく、勝てないので選手が抜けるという負の連鎖。河野投手自身も小学6年の時にチームを変わっている。

中学では住吉大和川シニアに入るも、ここもあまり強くはなかったとか。それに本人も野球をあまり真剣にやってなかったという。

「野球には行っていました。ただ平日の“遊び”が楽しすぎて・・・」と苦笑する。

どんな遊びをしていたかは本人の名誉もあり書かないが、いわゆる荒れた生活で授業もさぼりがち。中学校に行く時も遊びに行くような感覚だったという。「昼から学校に行くと『よく来たな』と別室に案内されたり(笑)。うちは母親だけなんですけど、反発して家出とかもしていた。母もとりあえず帰ってきやすいようにと門限をなくして、まずは家に帰って来いという感じでした。最近当時のことを聞いたんですけど、あの時は諦めていたって言われました(苦笑)」と頭をかく。

ただ土日はちゃんと野球に行っていた。でも頑張ろうという感覚も特になかったという。当時すでに身長は180㎝あって、球速も135km/hくらい出ていた。「意外とできるなという感覚だった。今思うとそれもよくなかったかもですね」。

〇創志学園でまっとうな野球人に?

そこから甲子園にもその時点で3度出場していた創志学園に進学することになるが、偶然が重なった結果だった。「小学6年生の時に何も知らずに見に行った甲子園でたまたま創志学園が出ている試合を見た。その時にのちにプロ入りをする難波侑平選手(元日本ハム)がいて、ベンチに戻ってくるときに手を振ったら返してくれた。それで創志学園に行きたいとなった。その後住吉大和川シニアへ進んだ際に、どこか行きたいところがあるかと聞かれたので『創志学園です』と答えたら、たまたま創志学園の一期生の中にそのチームから行っている選手がいたらしく、そのつながりから取ってもらえた形でした」。
そんな河野投手が創志学園に入ってどんな印象を持ったか。「びっくりしました。こんなに野球って真面目にするんやって(笑)」と笑いを誘う。

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