愛知野球通信+

元プロ野球選手の今① 元ロッテ育成選手の速水将大内野手(菊水化学工業)にお話を伺いました。

NPBにドラフト指名されてプロ野球選手になることだけでもすごいことですが、そこで一軍の華やかな舞台で活躍する選手はさらにまた一握りとなっていきます。

毎年ドラフト会議で指名されて希望を持って新人選手が入ってくる一方で、同じ数だけ選手は引退や自由契約となってセカンドキャリアに入っていく。

現在の東海地区のアマチュア野球界で、元NPBで活躍した選手が様々なカテゴリーでいらっしゃいます。

そんな選手たちにいろいろ聞いていこう、という企画の第一弾として、軟式野球の菊水化学工業で昨年から活躍する速水将大選手にお話を伺いました。

菊水化学工業の速水将大内野手

〇異色の野球歴

小学1年生で尾張一宮リトルシニアにて硬式野球を始める。

中学は尾張一宮シニアでプレー。

高校は長野県の新設校、日本ウェルネス筑北へ野球留学。

高校卒業後は愛知県へUターン進学を目指し、結果、至学館短大へ。

短大卒業後、BCリーグ、富山GRNサンダーバーズへ進む。

独立リーグ1年目にロッテから育成ドラフトにて指名を受け入団。

2年後自由契約となり、軟式の菊水化学工業へ

軽快な動きでボールを捌く速水選手

速水選手はNPBにまで進んでいますが、どちらかというとNPBに行く選手としては裏街道というか、あまり一般的ではない道を進んできている印象です。

その一つ一つ理由を聞いていくとそんなに違和感はないのですが、そのあたりも含めてこれまでの野球人生を紐解いていきます。

〇日本ウェルネス筑北へ進んだわけ

4つ上の兄がいて、その影響で野球を始めたという。野球が好きな一家で、兄は積極的に野球へ取り組んでいたが速水選手自身は「野球はあんまり好きじゃなかった」という。

その理由は「コーチが怖かったとか、練習がきついとか・・・。小学校の友達が土・日に遊ぶ話をしている中で、自分は野球に行くのか、という感じが強くて(苦笑)。ただ、グランドに行きさえすれば楽しかったのと、小学校の最後の大会で全国ベスト8に入れたのがその後も続けるモチベーションになった」と当時の心境を振り返ります。

そこから中学では愛知一宮シニアへ。1つ上の代の人数が少なかったこともあり、早い段階で試合に出場。愛知県でベスト8にも入った。

ポジションはリトルの頃からセカンドが中心。シニアでもセカンドとサードを中心に活躍する。

高校進学は甲子園に行くことを最優先で考えたときに、長野の方が可能性は高いと感じたこと、松商学園で長年監督をされた中原英孝監督が一期生から指導するという情報があったことを理由に、新設の“日本ウェルネス筑北”に進むことを決める。

一期生のため当然先輩はいない。20人の同期だけでのスタートだった。新設校で甲子園に行きたいという選手が集まった高校。みんな前向きで「取り組みはすごいな」と感じていた。

2年の秋に長野県大会で初優勝。北信越大会へ進むも1回戦で敗退しセンバツ出場はならず。

最後の夏はベスト8まで進むもその年の夏に甲子園へ出場した佐久長聖にコールド負け。「力尽きたという感じでした。エースがサイドハンドでクイックの速さが特徴の投手。ただ、1年のころからずっと公式戦で投げていたので、相手に情報が知れ渡っていたのがあった」と悔しそうな表情をうかべた。

〇至学館大の短大から独立リーグへ

最後の夏が終わって進学を考えた時に、愛知県に戻りたいという思いが強かった。夏の大会のあと愛知一宮シニアの監督へ挨拶をしたときに今後の話となり、愛知の大学にできれば進みたいと伝える。その際に『至学館大はどうだ』と勧められた。

しかし試験を受けて4年制の学部は不合格。同大学の短大の学部しか受からなかったため、至学館短大に進んで野球を続けることに。

至学館短大時代の速水選手

野球部は他の4年制の選手と同じく至学館大の野球部に入部する。しかし、大学2年の時にコロナ禍となり、春のリーグ戦がなくなったのは不運だった。秋のリーグ戦で結果が出て、自分としても手ごたえを感じていたが、短大なのでそこで終わり。野球を続けるには再びどうするかを考えることに。「硬式を続けたいと伝えていたものの、社会人チームに進むのは難しい。『硬式をやるなら独立リーグはどうだ』となって、BCリーグの富山GRNサンダーバーズへ進むことになりました」。

〇プロへ行きたいと自覚した時期

独立リーグに進む選手は基本、NPBに最短で行きたいからと選ぶ選手が多い。速水選手も「硬式を続けてNPBを目指すなら独立へ」と表向きは話しをしていたが、実のところ独立リーグに入った当初はNPBを目標とは捉えてはいなかった。

「独立に行くまではNPBは夢のまた夢かなと思っていた。ただ、独立で3試合くらい、NPBのチームと試合をする機会があって、その時に初めて意外とチャンスはあるな、という感覚になった。そこからは現実的にNPBに行きたいと思うようになった」。

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