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東海地区大学・社会人有望選手特集⑫ トヨタ自動車 熊田任洋 内野手 “打てる二遊間としてトヨタでスタメン奪取を狙う”

東邦高校ではセンバツ優勝。早稲田大では4年間レギュラーで出場。
トヨタ自動車では1年目に日本一へ貢献。常にエリート街道を歩いてきた印象の熊田任洋選手

今年は社会人2年目となり、プロ解禁となる1年。大学の時に指名されなかった経験を経て、どのようにこの1年を過ごしたいか。二遊間へのこだわり、NPBへの思いを伺っていきました。

トヨタ自動車 熊田任洋選手

〇東邦、甲子園の思い出

野球は小学1年から始めて、小学3年の時から硬式の一宮ボーイズへ。中学は兄が入っていた岐阜青山ボーイズで硬式を続け、東邦から声がかかり進学する。

東邦では2年の春、3年の春と甲子園へ2度出場する。石川昂弥選手(中日ドラゴンズ)とともに3年のセンバツでは東邦として5回目となる優勝を達成した。「森田(泰弘)監督(現・総監督)が手術をされて復帰した最初の大会が甲子園でした。そこで胴上げできたことが一番の思い出ですね。結果的に3年生として最後に見てもらった代でしたし」。

甲子園で印象に残ったのはその雰囲気と、試合を急かされる感覚だったとか。「独特の雰囲気があって、そのうえで試合はすごく急かされる。これが甲子園に飲まれるって感覚なのかと思いました」と振り返った。

〇早慶戦は特別

早稲田大時代の熊田選手

早稲田大への進学は森田監督に東京の大学でやりたいという希望を伝える中で、「早稲田大はどうだ」と言われてトントン拍子で決まる。

入学の年がコロナ禍(2020年)で、いきなり短縮シーズンからのスタートだったが、スタメンで大学デビューを果たす。「木のバットはすぐに対応できました。ピッチャーの質はものすごく高く、捉えたと思ってもファールになる。そこは苦労しました」。

印象に残る試合はその年の秋の早慶戦を挙げた。「早慶戦は周りの盛り上がりがすごくて、自然と自分たちもそうなる特別な試合。その中でも1年の秋は逆転勝ちで優勝を決めたのがすごく印象的。結果的に大学で唯一の優勝になったことも大きかった」としみじみと語る。

大学では4年間レギュラー。打率1割台と苦しんだシーズンもあったが、最後の3シーズンは3割をマーク。リーグ戦ではトータルで8本のホームランを放ち、東京六大学でしっかりと結果を残した。

NPBには行くのが目標ではなく、一軍に出て活躍する選手になるのが目標ととらえていた。しかしプロ志望届を提出するも指名はなく、トヨタ自動車へ入社することになる。

〇トヨタ自動車に入って

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