愛知野球通信+

東海地区大学・社会人有望選手特集⑬ トヨタ自動車 池村健太郎投手 “150km/h左腕の目標はNPB入り。層の厚いトヨタ自動車で結果を出して夢をつかむ”

宇部鴻城を甲子園に導き、愛知学院大ではエースとしてチームを支えた左腕、池村健太郎投手

トヨタ自動車でも層の厚い投手陣の中で、都市対抗野球、日本選手権と全国の舞台で登板を果たす。日本選手権では150km/hをマークし、スカウトへアピールした。

小さいころからプロを目指していたという左腕が、どんな思いでドラフト解禁イヤーに臨むのか。そのあたりを中心にこれまでの歩みや、今年にかける思いを伺いました。

〇兄を追いかけて宇部鴻城へ

野球を始めたきっかけは11歳離れた兄がやっていた影響から。小さいころから野球を見ていたので、自然と始めた?「いや、グローブとバットは小さいころから与えられていたので親の策略です」と笑う。

これだけ歳が離れていると、一緒に遊ぶとかは無かったそうで、むしろお兄さんに野球を教えてもらっていた。

お兄さんは宇部鴻城から福山大まで硬式野球を続けた、ガチガチの野球経験者。物心がつく頃には宇部鴻城で野球をやっていたため、その姿を見ていた池村投手は「自然と高校は同じところに行くものだと思っていました」と振り返る。

〇山口大会準々決勝の死闘

宇部鴻城の3年の時に甲子園へ出場。これは「エースとして僕が導きました」と胸を張る。

そう言い切るだけの死闘があった。準々決勝で高川学園と対戦。その年の高川学園は秋、春ともに山口県大会を優勝し県内無敗の状況。一方の宇部鴻城は秋が1回戦負け。春が3回戦負けで夏はノーシード。「それまで10年くらいずっと第1シードを取っていた中でそんな状況。やばい代でした」。

強い気持ちで挑んだ試合は9回で決着がつかずに延長戦へ。当時はタイブレークではなく、通常の延長戦。延長12回にようやく宇部鴻城が勝ち越して5-4で勝利。池村投手が投じた球数は実に204に達していた。「一番気持ちも入った試合だったし、粘れた。甲子園にもつながった投球でしたし、これまでの投球で一番印象に残っている」としみじみと語る。

次の準決勝のキャッチボールをしていた時にひじを痛めたが、それを隠して決勝戦でも登板して甲子園を決めたという(準決勝は外野手で出場)。「その年まで3年続けて決勝戦で負けていたんです。宇部鴻城にとっては4度目の正直という状況。甲子園で投げられなくてもいいから決勝を投げたい。自分で決めたい思いが強かった」と強調する。

決勝戦後に痛みを訴えて、甲子園では3回1/3の登板にとどまった。それでも「目標を達成できて甲子園で投げられたことが満足」だったという。

〇愛知学院大学では低迷期を乗り越える

大学時代の池村健太郎投手

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