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栗原貴宏「手術をしても、これだけできるんだと証明したい」【コラム・無料記事】

 

昨日、栗原選手のインジュアリーリストからの抹消が発表されました! いや〜、本当に良かったです。大変な手術を乗り越えての復帰を祝して、以前、会員限定で公開した記事を無料公開しちゃいます! 栗原選手がコートに戻ってきた時には、大歓声でお迎えしたいですね?

 

昨シーズン、ケガの影響で1シーズン通してプレーができなかった栗原貴宏。移籍1年目ということで、新鮮な気持ちで取り組んでいただけに、ケガはさぞかし悔しかっただろうと推測する。オフ中には足の手術を終え、無事、栃木に戻ってきた栗原に、昨シーズンの感想と今シーズンに懸ける思いをたっぷり語ってもらおうと思っていたのだが、詳しく話を聞いているうちに、何やら大変な手術を受けていたことが判明した。(文:藤井洋子)

 

アクシデントに見舞われた昨シーズン

昨シーズン、川崎から移籍した栗原貴宏。加入当初は、「シュートを打つタイミングなどで戸惑うこともあった」と話すが、シーズンが進むにつれてチームにフィット。調子が上がってきたと思われた矢先の1月、川崎ブレイブサンダース戦で右手首にケガを負ってしまった。何とかCS(チャンピオンシップ)には間に合わせたいと懸命なリハビリを続け、4月には復帰を果たしたのだが…。

次の試合に向けて練習していた最中、再びアクシデントに見舞われた。練習中に、右足を負傷。復帰後、わずか3日足らずで、またもケガをしてしまったのだ。

チームはこれからCSに向かうという大切な時期。しかし医師からは「右足は手術しないと治らない」と告げられ、すぐに右足の手術を受けることになった。

リーグ戦の最終戦は、術後ということで家で安静にしていなければいけなかった。その後、CSが始まった頃にやっと外出できるようになったため、CSの試合は会場に出向き、ベンチの外から戦うチームメートを応援した。

「シーズンが終わった後は、みんなはオフがあったと思いますけど、僕は右足をケガして1週間後には手術をしたので、自分の中ではシーズンの区切りもよく分からなかったです」

ケガの影響で1シーズン通したプレーができず、消化不良のまま移籍1年目の幕が下りた。

 

5、6年前から痛みを抱えていた

栗原が右足の手術を受けたのは、レギュラーシーズンも終盤となった414日頃。それから約2カ月後の67日には、実は、左足首の手術も受けていた。

「左足に関しては、もともと手術をしょうと決めていたんです」

栗原は、大学生の時に左足を脱臼しており、それによってバランスが崩れ、足首が内側に入ってしまう状態だった。

「とはいえ、その時はまだ軟骨もきれいにあって痛みも特になかったんですけど、その後、東芝(現・川崎)に入って4シーズン目が終わった辺りで足首の手術をしたのですが、その手術が終わった後からめちゃくちゃ痛くなって。そこからどんどん骨と骨の隙間がなくなっていったみたいです。だから5、6年前から徐々に悪化していったという感じでした」

栗原が抱えていたのは、変形性関節症という疾患。関節の骨の末端部にある軟骨はクッションのような働きをするのだが、この関節の軟骨が長年の負荷によって徐々にすり減っていくと滑らかな動きが阻害され、炎症や痛みを生じ、最終的には関節の変形をきたすという変形性疾患というものだ。

「僕の場合、足首の軟骨がなくなっていくことで骨同士がぶつかって、どんどん骨がめり込んでいって、常に炎症を起こしている状態でした」

しかし軟骨は再生できないため、いかに負担を少なくして進行を遅らせるかということが重要となる。そこで川崎在籍中は、負荷の掛かる練習や走るメニューはセーブするなど、左足を気遣いながらプレーしていた。だが、それではコンディションも上がってこない。そこでブレックスへ移籍を決めた際は、「練習はみんなと一緒に全部やらせてください」と言って、チームメートと同じメニューに取り組んだ。ところが…。

「自分の中ではもうちょっとできるかなと思っていたんですけど、自分が思うよりも負荷を掛け過ぎていたようで、思っていたよりも早い段階で悪化してしまい、私生活にも支障が出るほどになってしまいました」

毎日、朝晩は痛み止めを飲むほどの状態だったが、次第にその痛み止めさえ効かなくなっていった。試合などでいつも以上に負荷が掛かると、とりわけ痛みがひどく、眠れない日もたびたびあったという。

「ヒアルロン酸の注射を打ったりもしましたけど、結局、気休め程度で効いている感覚もなかったです」

このままではまずいと思った栗原は、足首の疾患で日本でもトップと言われる名医に診てもらうことにした。

「何かできることはないですか?」と医師に聞くと、「この状態で本当にプロでバスケットやってるの?」と驚かれたそうだ。

「先生からは、初期、中期、末期のうちの、『末期です』と言われました。最初はちょっとショックでしたよ。そんなに酷いんだって。でも、『最終手段で一つだけ方法があるよ』と言われて。『これ以上我慢してやっていると、どんどん悪化していって、最終手段の手術もできないぐらいになっちゃうよ』とも言われました」

 

 

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