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笠井康平「『ディフェンスが武器』だと自信を持って言えるように」(インタビュー・コラム)【無料記事】

実業団からプロの世界へ

笠井が就職した年は、Bリーグが開幕した2016年。メディアの露出も増え、大学で一緒にプレーしていた選手たちが活躍している姿を、画面越しに観ることも増えていた。楽しそうだなぁ、そう感じるのと同時に、どこか自分の中でモヤモヤした気持ちがあったのも事実だ。

このまま実業団でバスケットをしていていいのだろうか―。

そんなふうに思っていた時に、名古屋ダイヤモンドドルフィンズから声が掛かった。

「タイミングが良かったということもあって、挑戦してみようと思いました」

2年と5カ月間、社会人として生活する中で、やはりプロでバスケットがしたいという気持ちが湧いてきていた。声を掛けられたのは、ちょうどそんな時だった。とはいえ、社会に出たことを後悔しているわけではない。社会に出たからこそ、経験できたこともたくさんある。

「就職で地元に帰ったことで、応援してくれている人たちに出会えました。だからバスケット以外の面では、社会人になって大正解だったと思っています。でも、結局バスケットをもっとやりたいという気持ちになってしまって。そこにもっと早く気付ければ…、というか、もっと早くプロに挑戦できれば良かったなと、今は思っています」

しかし、なぜ名古屋Dは笠井に声を掛けたのだろうか? この疑問に、笠井はこう返してくれた。

「当時、名古屋Dには青学時代に一緒にプレーしていた選手が多く在籍していて、そうした選手たちが僕を獲得するようプッシュしてくれたんだと思います」

何はともあれ、プロの世界に入ることができたわけだが、練習では2年5カ月間のブランクを感じることも多く、周りの選手との差を実感するばかりだった。毎日、体力や技術の面で劣ることを痛感し、しんどいなと感じることもあったが、バスケットボールに多く触れられるプロの環境や生活は楽しく、「充実した日々を過ごせました」と当時を振り返る。

 

プレータイムを求めて移籍を決意

こうして名古屋D2シーズンプレーした後、笠井は群馬クレインサンダーズへの移籍を決意する。この時、B1のチームからもオファーをもらったが、多くは「興味はあるが、ほかのガードが決まってから」と言われることがほとんどだった。要は、2番手、3番手というように「バックアップで使いたい」というオファーが多かったのだ。

一方、B2のチームからは早い段階からオファーをもらい、その中でも一番早く声を掛けてくれたのが、群馬だった。

「群馬は、これから集めようとしているメンバーも教えてくれて、1年以内にB1に上がりたいという強い意志と本気度が見えました。自分自身、結果も出したかったし、だったらチームとしても一番結果にこだわるチームでやりたいなと思って、群馬に決めました」

名古屋Dは、技術やプロとしての生活、それら全てに学びがあったが、なかなか試合には出られなかった。だから、「次のチームではどうしてもプレータイムがほしい、結果を出したい」、そんな気持ちが笠井の中で大きくなっていたのだ。

B1からB2のチームに行くことには、最初は少なからず抵抗もあったようだが、いろんな人に相談する中で、今は結果を出すことが必要なんじゃないかと考えるようになり、「自分がしっかりステップアップしてチームをB1に上げることができれば、いずれまたB1でプレーできるだろう」、と気持ちを切り替えた。

チームによって、環境はさまざまだ。もちろんバスケットへの向き合い方も、選手一人一人違う。名古屋Dは充実した環境があり、世代のトップにいたような選手たちが集まっているようなチームだった。それに対し、群馬は環境に関しては名古屋Dに劣る部分もあったが、そうした中でもしっかりと自分の体と向き合っている人もいて、時間が足りないからと練習の前後にジムに通ってトレーニングを欠かさない人もいた。

「結局、環境じゃなくて一人一人の意識が大事なんだ」、そう気付いた。

「僕が群馬に行った時は、ベテランの選手が絶対的なガードとしていて、チームはその人をとても信頼していました。最初はその選手のバッグアップという形でプレーしました。その選手にない部分をアピールしながら…という中で、その選手のケガなどもあり、替わって僕のプレータイムが延びていきました。そのタイミングで、しっかり結果を出し続けられたことが、その後のプレータイムの増加につながっていったのだと思います」

 

 

 

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