BUBU’S EYE

原田裕花(Wリーグ会長)開設記念SPECIAL INTERVIEW 

原田 裕花 (Wリーグ会長)に聞く

PROFILE はらだゆか。山口県周南市出身。山口・富田東小学校、富田中学校~大分・藤蔭高校~共同石油(現ENEOS)入社後、いきなりスターターとして抜擢される。1987年日本リーグ優勝 新人王。同年、日本代表チーム入り。入社2年目にフォワードからポイントガードに転身。小学校から日本代表まですべてのカテゴリーでキャプテンを務めた。入社翌年、アトランタ五輪前年の2度、前十字じん帯断裂という大ケガをしたが見事復活。一度目はカムバック賞を受賞する大活躍。2度目は壮絶なリハビリの末に代表入り、1996年日本にとって20年ぶりのアトランタ五輪では7位入賞を果たした。昨年、一般社団法人バスケットボール女子日本リーグ(Wリーグ) の新会長に就任。アスリート出身初の会長となって1年。Wリーグ会長を引き受けた思い、そして今感じることを聞いてみた。

 

プレイオフ表彰式より。写真@Wリーグ

バスケットボールをもっともっと広めたい。会長というより応援団長

就任したその日、実は誕生日だった

 

BB まもなくWリーグの会長となって早くも1年がたちます。このニュースを聞いた時、ものすごくうれしかったです。日本のバスケットボール界はお年をめした方がなるもんだ的な印象を今まで受けてきたので。

アトランタ五輪もケガで紆余曲折がありましたが、キャプテンとしてまっとう。特にあのアトランタオリンピックで当時世界2位の中国戦でのテイクチャージ(ディフェンスがオフェンスのドライブの進行方向にあらかじめ立ち、オフェンスチャージングをもらうプレイ)2本は涙なくしては見られません。

本日は、会長を引き受けたいきさつ、1年たって今思うことなどいろいろうかがいたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

原田 はい、お願いします。1年たつと年齢も一つプラスしてしまうんですが(笑)

BB えっ、6月5日がまさかの誕生日?

原田 その日がそうだとWリーグの皆さんも知らなかったみたいで(笑) 就任発表の日だったんです。

なんだかめぐり合わせが凄い。そこを狙ったわけでもなく。

BB サプラーイズ!! ではなかったんですね(笑)

原田 5月の社員総会で承認されて、スタートした日がたまたまそうなって。なにか意味があるんだなと思いますよね。

 

ーー ちなみに、この日取材したファミレスの席番が〝11(原田さんがつけていた背番号)〟で、狙ったわけでもないのに、凄いと驚きでした。

そして、今年の誕生日にはWリーグからサプライズのケーキが送られたそうです。

 

BB 個人的に私はものすごくWリーグ会長にユカ(原田さん)がなったことがうれしかったんです。どうしてかというと、中国バスケットボール協会長が誰だか知ってますか?

原田 姚明ですよね。

 

ーー ヤオミン。元NBA選手。ドラフト全体1位に選出。2002~2011、NBA・ヒューストン ロケッツで活躍。2017年2月23日、中国バスケットボール協会の会長に就任。

 

BB ロシアのバスケットボール協会長は?

原田 …。

BB アンドレイ・キリレンコ。ヤオミンと同世代、元NBA選手です。

ーー 16歳でプロデビュー。名門CSKAモスクワに移籍。1999年NBAドラフトでユタ・ジャズ1巡目24位指名。ユタ・ジャズ、ミネソタ・ティンバーウルフ、ブルックリン・ネッツ、フィラデルフィア76ers。ユーロリーグ2012MVP。

 

BB どちらも、日本男子と対戦したことがあり、取材しています。姚明とはカルカッタアジアジュニア選手権準決勝。翌年のポルトガルで開催された世界ジュニア選手権で、ロシアと日本は同じグループ。初戦で対峙しました。大差がついたのですが、「日本とは今日は点差がついたが、日本のバスケットは賞賛に値する」とキリレンコとロシアのコーチが記者会見でコメントしました。はたして、日本の選手が同じ状況にあったらそんなコメント言えるかな?

ロシアとの試合、センタージャンプはもちろんキリレンコでしたが、ジャンプする前の瞬間足を引いたら足がセンターサークルから飛び出ていました。そんな手足長い人いる?

2人とも引退後自国のバスケットボール協会長。今年42歳。日本でいえば、同じ学年の田臥勇太が日本でなったら、風通しが良くなるんじゃないか、と常々考えていました。もちろん、今までの協会の要職に就かれた方々も選手時代の功績も大きいのはわかっています。そこへ、Wリーグ会長にアスリート出身のユカがなったと。これは素晴らしい。

 

原田 リーグとバスケットボール協会とは違うと思いますが。私自身は会長や役職にまったく興味がない、というか意識はまったくなかったです。日本のバスケットボールをいろんな人に知ってほしい、見てほしいという気持ちは持っていましたが、組織に入ってまでとは思ってはいませんでした。

現役プレイヤー時もそうでした。引退して自分も伝える側になって関わるようになって、そのことを強く感じるようになりました。悔しかったんですよね。スポーツ界をはじめいろいろな方にお会いするようになって、バスケットの認知度が低いなと。マイナースポーツだよね、と言われると自分の中でピキッとくるものがある。そのためにも広める活動をしたいと思いました。

BB ピキピキッときますね、それは。もともと、Wリーグになる以前の実業団時代から凄く知っている人は知っているし、のめり込んで見ている人もたくさんいました。1975年コロンビア・カリで行われた世界選手権で、生井さんたちが準優勝した時も、もっともっと知ってほしいと思っていました。忍者ディフェンスという注目を集めるネーミングもそうだっただろうし。

結果を出す、何か壁を打ち破らなくてはいけない。男子日本代表と決定的に違うのは、女子はそれこそ、生井さんたちから始まり、アトランタ五輪世代、アテネ五輪~と女子日本代表は先輩たちの思いを脈々と受けついでいるように感じます。

原田 そういう感覚はありますね。そういう思いでみんなやってきたと思うし、世界に通用するんだということを含め、選手一人ひとりのプライドがあると思います。

 

選手寿命の長さ

 

BB 私たちの世代は競技期間が短かった。大学に行かないで高校から実業団に行く人は大学と同じ4年間、それ以上続ける人は大学院に行くのと同じで稀なケースでした。そこまでやったら、よくやったという感覚だった。でも、本当はもっともっとやれたんじゃないかと。

今どきは、大学行ってからWリーグに行くのは当然という空気になってきた。オーちゃん(萩原美樹子さん。県立福島女子高校(現・県立橘高校)~共同石油~WNBAフェニックス・マーキュリー。現・東京羽田ヴィッキーズヘッドコーチ。早稲田大学大学院修士)の功績は大きいですね。

バスケットに限らず、他のスポーツでもそうですよね。ソフトボールのレジェンド…

原田 上野(由岐子)さん。

BB そう。今41歳でいまなお現役! 競技年齢が伸びた、というより今までもやれた人はいたと思う。

固定概念が強すぎた。

 

原田 はい。私もそんな感じでした。実業団に入ったら4年間やって、結婚とかという感覚がありました。今は、大学を卒業してWリーグという選手も増えました。私たちは高校を卒業後に実業団に行くものだと思っていましたし、それが実業団で活躍する近道、成長するための近道だと考えていました今はいろんな選択肢がありますし、固定概念も取っ払われている。年齢にしても、伸ばしてくれた方々がいる。私も当時は10年やって長いほうで代表もやって28歳で私は引退。

馬瓜エブリン選手にしても、吉田亜沙美選手にしてもいろんな選択肢の中でバスケットを今もプレイしていけるという感覚がありますね。

BB 海外挑戦も。

原田 私の2つ下がオーちゃん。オーちゃんが日本で初めてのWNBAの選手なりました。私自身はケガをしたこともあって、考えてはいませんでした。ケガをする前は「挑戦したらどうなるかな?」と一瞬(笑) 思ったこともあります。

BB えー、初耳(笑) 考えたことあるんですね。

原田 一瞬ですけど、代表で海外の選手と試合をして、こういう人たちと戦えたら楽しいだろうなとは思いました。その時はそんな先駆者がいなかったですし、それも固定概念というか、どうすれば挑戦ができるか、わからなかったことも多かったです。

 

BB オーちゃんから直接聞いたり、本を読んでもWNBAの選手たちは、底知れぬ体力がありますよね。WNBAが終わったら、今度はどこそこの国でプレイするとか。子供産んでからもやるし。

原田 だんだん、今はいろんなデータを活用しながらですよね。戦術面やスキルアップ、コンディショニングだったり、食べ物や栄養学などいろいろな情報もあったり。そういう部分でも選手寿命が長くなってきている要因だと思います。環境、考え方、科学的なトレーニング方法などの情報を含め、整ってきているところはありますよね。

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