限界突パ

俊足に陰りが見えてきた時に何で勝負していくか――西武・金子侑司の現役引退で改めて考える「スピードスターの宿命」<SLUGGER>

「まだできる」――。

9月15日、2度の盗塁王を獲得し、2018~19年のリーグ連覇に貢献した西武の金子侑司が現役を引退した。試合後の引退セレモニーではかつてのチームメイト浅村栄斗(楽天)が「まだできると思っている」とビデオレターで語るなど盟友の引退を惜しんだ。

金子侑が引退を発表してから聞こえてきたのは「引退は早いんじゃないか」「まだまだやれる」といった言葉だった。今季の開幕戦は1番・レフトで先発出場。決勝ホームを踏むなどシーズン序盤の西武において貴重な選手の一人だった。4月27~29日のソフトバンクとの3連戦では2本塁打。うち1本はモイネロ、もう1本はスチュワートJr.から放った。力のあるところは見せていたはずだった。

ところが、チームの低迷で金子侑が師と仰いだ監督の松井稼頭央が休養。渡辺久信GMが監督代行に就任すると、金子侑の出番は少なくなった。6月3日に一軍登録抹消。ファームに落ちてからも気持ちを切らせることなく3割近い打率をキープするなど一軍復帰に意欲を燃やしていたが、8月末に引退を決断した。

当然、球団との話し合いがあってのことだったが、金子侑は当時の複雑な心境をこう語っている。

「決断に至った理由は難しいですね。8月の末ぐらいに今のチーム状況、自分の立場、そういうのもいろいろ考えた中で、うまく言えないですけど、来年のライオンズに自分が加わっているっていうイメージが最後はできなかった。そう思ってしまった瞬間に現役を引退しようという風に決断しました」

「自分はチームに必要とされる戦力だ」という思いを支えに一軍復帰を目指していたにもかかわらず、「チームに自分が加わっているイメージができなかった」と引退理由を語らなければいけなかった。そこには大きな壁があったのではないだろうか。

他球団の選手や評論家が「まだ早い」と言ってしまうのは、今季、試合に出ていた姿を見ていたからだろう。ファンとしても、FAで移籍する主力選手が多い中、複数年契約を結んで「生涯ライオンズ」を誓ってくれた金子侑にはかなりの感情移入があって至極当然のことだ。

ただ、ここ近年の金子に求められているものが、持ち味のスピードだけではなくなってきていたのも紛れもない事実としてあった。というのも、これはある意味で”スピードスター”と言われる選手の宿命でもあるが、30歳を超えてくると、どんな俊足の選手でも脚力は衰えてくる。純然たる足の速さだけではなく、トップスピードに入るまでの速さや一種の判断力のなどにも衰えが出てくる。そうなってくると、足以外の武器が必要になってくる。

足で稼げなくなった分、出塁率を含めたバッティングで存在感を発揮できない限りは生存競争に勝ち残っていけない、それが現実というものだ。スピードに陰りが見えてきた時に何で勝負していくか。その壁が金子侑にはあった。

金子に引退会見の場で尋ねてみた。プロ入り前の目標から思った以上に良かったことと、逆にうまくいかなかったことについてである。その答えに引退の本当の理由が見え隠れしていた気がする。

「自分が思った以上に盗塁ができました。大学生の時とかはあまり走っていなかったと思うんで、この世界で生き抜いていくために、いろんな方から教えてもらいましたし、その中で思ってた以上に走れたと思います。一方、もうちょっとできたかなという部分に関してはもっと打てたかなと思います。でも、自分の技術が思ったより上がらなかった。自分の努力が足りなかったのもあるかもしれない」。

立命館宇治高時代は、スラッガーとして京都府内では評判の選手だった。立命館大に進んでからも好打に足を絡めるスタイルが持ち味の選手だった。足は飛躍的に伸びた分、タイトルを取れるほどになったが、打撃面での苦労が今季限りでの引退につながたったとも言えるだろう。

もっとも、金子侑がチームに残した功績は大きい。この日の引退セレモニーでも、登板予定のない投手陣や二軍選手の多くがベルーナドームに駆けつけ、チームを12年間に渡って盛り上げた金子侑の花道を見送っていた。それほどの存在だった。

 

8回裏の攻撃では、打線がつながって2死満塁の好機で金子侑を迎えるという奇跡的な場面が生まれた。結果は遊撃ライナーに倒れたものの、「金子侑へ打席を回そう!」という西武ナインの思いが結実したシーンだった。

近年は思うような結果が出ず、出場機会が減少。客席から心無いブーイングを浴びることもあったが、それでも下を向くことなく、よくやり切ったと思う。スピードで勝負できなくなった中で、開幕から打撃で見せようとアピールしてきたのは間違いではなかった。

「開幕スタメンに入って、9月には現役引退発表ですからね。本当にそれだけでも激動の1年だったなと思います。開幕からチャンスをもらって、試合に出させてもらって、ちょっとやれたり、駄目だったり、いろいろありました。欲を言えばもう1回、一軍に上がりたかったんですけど、すっきりした部分はあると言えばあるので、今年1年濃かったなと思います」

「まだまだやれる」という惜しむ声がある中、34歳にしてユニフォームを脱ぐ。スピードを武器にした選手がプロの世界で長く生きていく厳しさを感じずにはいられない。(2024.919 slugger)

取材・文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)

【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園は通過点です』(新潮社)、『baseballアスリートたちの限界突破』(青志社)がある。ライターの傍ら、音声アプリ「Voicy」のパーソナリティーを務め、YouTubeチャンネルも開設している。

 

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ