第2回近畿×東海クラブ交流戦 1日目【選手インタビュー編】
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今回はこのクラブ交流戦の大阪選抜チームのメンバーに選ばれた選手の声をお届けする。さすがにスケジュールや時間の都合上、全員というわけにはいかないので、大阪の高校野球を経験した選手から3人ほど取材を行うことができた。なぜ、この社会人野球、クラブチームで野球を続けるのか。そして、高校球児に向けてのメッセージなどを聞いてみた。
◆八尾ベースボールクラブ・傳佐「今、クラブチームでやってるからこそ、クラブ選手権を一番に」
はじめに紹介するのはこの日、先発した傳佐唯斗。現在は八尾ベースボールクラブに所属する興国高出身の右腕だ。今秋は45年ぶりに近畿大会に出場するなど、古豪復活に向けて学校をあげての強化が目覚ましい興国高だが、傳佐の代は強化への取り組みが本格的に始まった頃だった。チームメートには中央大で活躍した植田健人、一つ下には橋本星哉(現ヤクルト)がおり、傳佐は植田とともに投手陣の一角として、春は16強、30年ぶりの夏の府大会8強に貢献した。

興国高時代の傳佐唯斗。写真は3年春のもの。
高校時代は踏み出す左足の使い方が独特なフォームだった印象があるのだが、これは当時、高校野球において二段モーションの規制があったためだ。現在は素直にタメを作って投げ下ろすフォームで球にも角度がある。この日の最速は141キロだったが、現在はMAX145キロまで伸びたという。
この日の投球内容は「今日は野手に助けられた」というほど、毎回のように走者を背負うなど全体としては不本意なものだったが、ブルペンでは自分でも感触はよかったようだ。実際、立ち投げの時点で乾いたミットの音が響くほど、球の走りや伸びはよかった。ただ、マウンドに上がるとなかなか思うようにボールがいかず、球場にスピードガンもあったため、「あんまり、出えへんなー」とその数字を意識してしまい、自分の投球の状態に疑問を抱きながらの投球となった。4回ぐらいから「投げ方をちょっと変えた」と体重を乗せることを意識してフォームを修正。これがはまり、4回は最後のイニングということもあって、気持ちもギアも上げて本領を発揮した。

ブルペンで肩をつくる傳佐唯斗。今年は全体的に納得のいく投球ができなかったという。来季はもう一花咲かせられるか
今回のパンフレットを見ると、傳佐の出身校は興国高のみとなっている。中央大に進学した植田は投打で当時から注目されていたが、傳佐も当時の実績、実力などを考えれば大学や企業チームなどから声がかかってもおかしくない選手だった。その経歴を不思議に思っていたのだが、やはり、高卒時にはそのまま大学で野球を続けていた。ところがタイミングの悪いことに傳佐が入学した時にその大学の野球部の体制が変わることになり、その環境に馴染めずに1年で退部することになった。
しかし、大学野球を辞めてからも「野球をしたいなと思っていた」ところに先に八尾ベースボールクラブに入っていた友人に声をかけてもらい、加入することとなった。当初はオープン戦などで対戦する機会のあった辞めた大学を見返すという反骨精神の方が強かった。ここから這い上がるという向上心の成果か、球速も高校時代よりも10キロ近く向上した。その成長に自信を深め、昨年には四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスの入団テストを受験。しかし、結果は不合格に。また、傳佐自身も現在はすでに結婚しており、今年には子どもも生まれた。守るものが増え、野球中心の生活というわけにもいかなくなり、「上を目指すのはあきらめた」と今は穏やかに野球を楽しみながら取り組めているという。それでもマウンドに上がった以上はチームを勝利に導くために右腕を振る。今シーズンも主戦投手として活躍したが、「完投が少なかった」と納得のいかないものだった。
そんな傳佐が考えるクラブチームでやることについて聞いてみた。
「今、クラブチームでやってるからこそ、クラブ選手権を一番に目指してます。クラブ選手権に(自分の投球で連れて)行きたいって気持ちが一番強いです」
やはり、クラブチームでやってる選手からはこの目標が出てくる。今年は前述のように家庭の面などで調整が難しかったのかもしれないし、今後、それがさらに困難となる可能性もある。しかし、傳佐は来年のことに関しては「今のところは全然、続けます」と意欲は十分。最後に謝辞を述べた後、「受け答えが慣れてなくて……」と苦笑していたが、口数は少ないながらも一つひとつの言葉からは意志や目標がはっきりと表れていた。

再三、走者を出しながらも無失点に抑えて、ベンチに戻る大阪選抜の先発・傳佐唯斗
◆泉州大阪野球団・中島「野球はたぶん、いつまでも上手くなれる」
続いて紹介するのは泉州大阪野球団の杉本陽哉と中島大地。奇しくもこの二人は同世代かつ、大阪の公立校から強豪の関西大へ進学したという経歴の持ち主で高校時代は中堅手というポジションも一緒だった。特に杉本は公立の雄・桜宮高時代では下級生から注目された大柄のヒットメーカーだった。その体格と身体能力はプロも注目しており、一部のメディアでは「プロ志望届を提出しなかった主な選手」として名前が載ったほどである。
一方の中島は当時、公立の有力校の一つであった箕面東高の出身。2年時の2012年夏の4回戦では藤浪晋太郎(オリオールズ、12月4日時点ではFA)や森友哉(現オリックス)を擁して春夏連覇を果たした大阪桐蔭と対戦し、接戦に持ち込んで苦しめた。しかし、下級生から注目された杉本と違い、中島本人はベンチ外だった。ところが3年に上がると、中島の抜群の身体能力が開花し、大化け。春季大会では6打数4安打2本塁打7打点と大暴れした試合もあった。

泉州大阪野球団・中島大地。この日は代打で1打席のみの出場。
そんな同世代の二人は公立ながらプロ注目という存在としてお互い知っており、推薦組という境遇、大学入学後も練習パートナーとしてキャッチボール、キャンプの部屋割りなど二人で過ごす機会が多かったからか、今も非常に仲がいい様子がうかがえる。この日もトスバッティングでペアを組んでいた。そんなお互いの印象を聞いてみた。杉本は中島のことを、
「足速いなというのが第一印象。今もめっちゃ速いっす」
と言えば、中島は杉本のことをこう語る。
「自分が試合に出てないときの2年の時の杉本の印象ですね。バカでかいし(身長186cm)、ウチ(箕面東高)と試合した時もホームラン打たれたんで……『えっぐいな、これが同級生かよ!』って」

泉州大阪野球団・杉本陽哉。この日は代打で登場し、内野安打。高校時代から長身のヒットメーカーとして注目されていた
ただ、大学進学後はやや明暗が分かれた。杉本が持ち前のパワーを発揮できず、目立った活躍ができなかったのに対し、中島は俊足を生かして出場機会を増やし、4年秋には神宮大会出場に貢献した。特に秋季リーグでは立命館大時代の東克樹(現DeNA)からマルチ安打を放つなど、打順は9番ながら打撃でも存在感を示した。
杉本は卒業後は社会人野球の企業チームでのプレーを希望していたが、縁がなく行けなかった。そんな時に杉本の知人の先輩からの誘いもあって、泉州大阪野球団に入った。軟式など草野球チームもおもしろいと思ったそうだが、まだ硬式でやりたいと現チームでのプレーを選び、今に至っている。中島は4年時の活躍もあってか、卒業後は中国地区の社会人野球チーム・ツネイシブルーパイレーツで5年間プレー。昨年にチームを勇退し、大阪に戻ってくるタイミングで声をかけてもらい、今年から加入した。杉本同様、草野球なども選択肢にあったが、中島の中ではツネイシでの5年間はやや不完全燃焼で終わった思いもあった。そんな時に泉州大阪野球団からの誘いは中島にとって渡りに船だった。
「硬式もやりたいなと思いながら、大阪に帰ってきた。そんな中で勝負できる場所があって、自分としてはうれしいなと思った」
と、さらに自分から聞く前に中島が続けて、クラブチームでプレーすることについて語る。
「野球はたぶん、いつまでも上手くなれると思うんです。今はいろんなことを探しながら、自分のこれからの野球やキャリアのことを考えながらできてるんで楽しいなという気持ちです。楽しい+真剣にできてるんで、いいなと思ってます」
そして、中島は杉本と大学以来、6年ぶりのチームメートとなった。

今年から泉州大阪野球団に加入した中島大地。韋駄天ぶりを発揮する身体能力の高さはまだまだ健在
◆泉州大阪野球団・杉本「野球を続けて、野球の奥深さを知ってほしい」
大阪の公立校出身の選手として、大学、社会人、クラブチームという世界でプレーする二人だが、苦戦が続く公立校の球児へメッセージやアドバイスのようなものはあるかを聞いてみた。杉本が語る。
「桜宮に限ることかもしれないですが、(1学年の部員数の割に)けっこう硬式野球を続ける人って少ないんですよ。大学や社会人でも輝ける場所はあるのになって思うので、高校で燃え尽きずに野球を続けて、もっと野球の奥の深さを知ってほしいなと思います。むしろ、自分はこの年になった時の方が野球が上手くなれてる気がします。高校、大学ではまず、試合に出たいとかいろんな邪念があると思うんですけど、今はもう自分の置かれてる立場とか役割っていうのもわかってきます。25歳を超えてきますと、こうやったら『確率高く打てるよ』とか、『速く投げれるよ』っていうのもわかってくる反面、18歳とかの時に比べると、自分の体も思うように動かなくなってきます。すると、頭を使って野球をするようになるので、そういう野球もおもしろいよ、見えてくる世界もあるよっていうのは伝えたいと思いますね」
年齢を重ねて、初めてわかること、社会人になることで野球への向き合い方も変わってくることもあるのだろう。
ただ、杉本や中島が高校生だった10年前と比べると、部員数こそ減少しているが、高校卒業後の野球継続率は伸びている。特に前年、2022年度は過去最高の92.7%を記録した。2020年以降は多少の増減はあれど、90%を越えている。この10年の間に選手、指導者含めた意識の変化、高校野球自体も休養日の設定、タイブレーク、球数制限の導入など大きく変化した。SNSの普及などで大学、社会人、独立リーグ、そしてこのクラブチームの活動が知られるようになった面もあるだろう。傳佐が八尾ベースボールクラブに、杉本、中島が泉州大阪野球団から誘われたように先人たちがそのような土壌を作ってくれる仲間が各地にいることも大きい。

1日目は控えながら、三塁ランコーに入った泉州大阪野球団・杉本陽哉
そして、この二人もやはり、クラブ選手権への出場と優勝が「第一の目標」だと語る。このクラブ選手権に優勝できれば、全日本選手権大会の出場枠が与えられる。アマ野球の最高峰ともいわれる社会人野球の二大大会に出場することができ、全国レベルのチームと同じ土俵で対決ができる。狭き門だが、そんなしびれる勝負ができる可能性を秘めている。
中島が「楽しさ+真剣さ」、杉本が継続してわかる「野球の奥の深さ」をクラブチームという世界で体感した。クラブチームでプレーする理由やバックボーン、伝えたいメッセージは選手によって様々だ。人の数だけ野球の魅力や楽しさがある。それがわかるのがクラブチームの野球の魅力なのかもしれない。

バックネットを背にしての記念撮影。杉本陽哉のみ右手を突き上げている