福知山成美・井本自宣前監督がプロに進んだ教え子の思い出を語る
春夏合わせて7回の甲子園出場経験を誇る京都の強豪・福知山成美。卒業生の中にはプロ野球の世界に進んで活躍した選手もいる。昨夏で退任した井本自宣前監督へのインタビュー第2弾ではプロに進んだ教え子のうち、柳田殖生(DeNAコーチ)、島本浩也(阪神)、桑原将志(DeNA)の思い出話を語ってもらった。
プロフィール
井本自宣(いもと・さだよし)
1973年10月29日生まれ。京都府出身。福知山商高(現・福知山成美高)-龍谷大。97年に国語教員として母校のコーチに就任。2007年4月から部長を務め、14年8月から監督になった。監督としては19年春に甲子園出場。昨夏限りで監督を退任している。
プロに行くと思わなかった柳田殖生
うちが初めて甲子園に出た時(1999年夏)の4番なんですけど、入ってきた時は体が小さくて、守備は上手いけど、バッティングはからきしだし、足もそんなに速くないという選手でした。
いつもオフに来てくれるんですけど、「指導者になってみて思ったけど、お前がプロに行けるから夢あるわ」と言ってるんです。だから、僕は誰でもプロに行けるような気がするんですよ。
過去にプロに行った選手は「まあ、行くわな」という感じだったんですけど、柳田に関しては違いましたね。
卒業後は社会人のデュプロに行って、最初の方は試合に出ていたんですけど、辞めて瓦屋職人になっていました。それでも野球が諦められず、仕事をしながらうちの練習に来ていました。
プロテストをいくつか受けて、ダメだったんですよ。その時にNOMO Baseball Clubができて、お世話になることになりました。それで都市対抗野球にも出て、あれよあれよでドラフトにもかかりました。
キャンプを観に行って話しましたけど、しんどすぎて、契約金を返して帰ろうと思ったらしいです。あれだけ練習好きなやつがそこまで言うんだから、プロは凄いですね。
何を練習していたかというと、ずっとティーバッティングをしていました。何を言われても一つのことをやり続けていましたね。
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