「今まで経験した中で一番苦しい夏だった」 神村学園・小田大介監督①
2年連続で夏の甲子園4強進出を果たすなど、ここ数年で九州最強の座を不動のものにしつつあるのが神村学園(鹿児島)だ。
チームを率いるのは、全国の高校野球ファンの間ですっかりおなじみの存在となった小田大介監督。2013年の監督就任以来、春3度、夏4度の甲子園に導いている。
今回「九べ」は、小田監督に特別インタビューを敢行。神村学園を全国トップクラスの強豪に定着させた熱血漢は、熱戦続きの夏をどう振り返る? そして、今後のチーム運営、チームづくりの考え方などに迫る緊急連載だ。
エースと4番の離脱がチームを強くした
━━夏の甲子園での2年連続ベスト4は、鹿児島県勢初。九州勢全体で見ても2016年春、16年夏、17年春と3季連続でベスト4入りした秀岳館(熊本)以来の快挙となりました。しかし、昨年と今年ではまったく意味の異なるベスト4だったと思います。
「昨年も『狙っていなかった』と言えば噓になります。やる以上は日本一を目指していました。ただ、実際は力を付けながらひとつずつ勝ち上がっていき、気が付いたらあの位置にいたというのが正直なところです。今年はすでにベスト4を経験しているぶん、日本一を目指してもっと頑張ろうということで、例年以上の厳しさを持って臨みました。今夏、私たちが目指した“県勢初の快挙”は2年連続ベスト4ではなく、優勝旗を持って帰ることでした。残念ながらベスト4に終わってしまいましたが、結果的にやることをやったうえでの結果なので仕方ありません。去年は多少なりとも“本当によくやった!”という気持ちがありました。でも、今年は本当に悔しさの方が大きかったですね」
━━2024年の鹿児島大会は5試合で42得点、失点は3。全試合で8点以上を挙げ、完封が4試合。得失点差39というまさに圧勝でした。3季連続の甲子園出場ということもあり、周囲の期待は大きかったと思います。
「前年に甲子園の準決勝まで辿り着けたからこそ、そこに行くことがどれだけ大変かということを理解できたつもりです。だから、鹿児島大会からプレッシャーがすごくて、過去の県大会の中でも今年が一番苦しかったですね。鹿児島大会では点差が開いた試合が多くなりましたが、想像以上に苦しかったです。逆にその中でしっかり勝ちきれたので、甲子園では『自信に変えよう。もうプレッシャーを抱えることはない』と言いながら試合に臨み、ピッチャーは計算どおりに投げてくれたし、野手も頑張ってくれました。選手たちがプレッシャーを克服して戦ってくれただけに、日本一に届かなかったのは本当に残念です」
━━夏に向けてプレッシャーが高まっていくなか、エースの今村拓未投手が肘の不安で4月の九州大会と5月のNHK旗でベンチを外れました。また、4番の正林輝大選手も練習中に自打球を右足に当て、患部から細菌が入り込んで高熱が出たために2週間チームを離れています。台所事情は決して楽ではなかったはずです。
「今村は上の世界でも野球を続けるピッチャーなので、しっかり肘を治して球数をちゃんと投げられる体に戻す必要がありました。春以降は再度のコンディション調整と体の強化に主眼を置いて調整させ、もし間に合わなかった場合に備えて2年生の早瀬朔や他のピッチャーを鍛えていましたが、とにかく今村を信じて待つだけでしたね。ようやく夏前になって2試合連続、2日続けて完投できる体力が戻ってきたので背番号1を与えました。正林が自打球を当てて右足を怪我した時も同じです。間に合わなかった時のことを考えて、玉城功大や他の選手を底上げしながら万が一に備えていました。玉城もバッティングの方で上がってきていたので不安はありませんでしたが、正林に関しては今村と一緒で、とにかく信じて待つしかないという心境でしたね。でも、怪我の功名ではありませんが、他の選手たちが頑張ってくれたので、チームの底上げという意味ではかえって良かったのかなと思います」