九ベ! ——九州ベースボール——

常識を破壊するスケール感 DeNA 梶原昂希が”猛威”を振るった日々

大分雄城台高校時代から「走攻守」ともにモンスター級の伝説を残し続けた男が、ついに開化の時を迎えた。
九州地区出身のトッププロ選手の高校時代を、スポーツライター加来慶祐が回顧する連載の第3弾。
今回はペナントレース3位からの下克上で26年ぶり日本一に輝いた横浜DeNAベイスターズの梶原昂希をピックアップする。
大卒3年目の今季、自己最多の91試合に出場し、規定打席未満ながらも打率・292、シーズン99安打の好成績を残した梶原。
来季は開幕から不動のレギュラーとしてリーグ優勝&日本一連覇を狙う大器だが、その実力はまだまだこんなものじゃない。“あの頃”を思い出すたびに、筆者は全野球ファンを圧倒するほどのパフォーマンスを期待したくなるのである。(※写真提供:久良安史さん)

 

本職オリンピアンと100mガチ勝負

梶原昂希のプレーを初めて目の当たりにしたのは、2年夏か秋の大会だったと思う。以前から「デカいうえに、足がある選手がいる」という話は耳にしていたが、こちらの取材行程と大分雄城台の試合のタイミングがなかなか合わないのだ。
ようやく辿り着いたその試合で、梶原は左中間への二塁打を放った。左打者の彼にとっては逆方向。低く、強く、球脚の速い打球が左翼手の前で弾む。その時、すでに梶原は大きなストライドで一塁を蹴って二塁へと向かっていたのである。

たしかに足は速い。しかも、高校野球の俊足選手といえば170㌢前後の小兵サイズが定番だが、梶原は2年夏時点で身長186㌢、体重73㌔の巨体である。これはたしかに凄い!
そもそも梶原の名前を初めて知ったのは、1年冬のトレーニングマッチ(県内の野球部対抗測定会)だった。100m走に出場した梶原は、そこで脅威の11秒3で駆け抜け県2位に輝いているのだ。翌年も梶原は11秒68で県2位に輝き、前年の記録がまぐれでも何でもなかったことを証明している。
しかも、2年のトレーニングマッチの時点では、体重も80㌔まで成長していた。これだけの大きな体を11秒台で運ぶ脚力。これを身体能力と言わずして、なんと言おうか。

ここからは大分雄城台監督として梶原を指導した久良安史さん(現・鶴崎工教頭)とともに、高校時代の怪物伝説を振り返っていこう。
大分雄城台の同級生には、東京五輪の女子4×100mリレーに出場した兒玉芽生がいた。2017年のインターハイ・国体で100m2冠に輝いた「日本一足の速い女子高生」に、挑戦状を叩きつけたのが梶原だった。全校生徒が注目する本気の勝負は、さすがに兒玉に軍配が上がったものの、梶原は本職に負けず劣らずのスピードと迫力を見せつけたのだった。

「大分雄城台の陸上部は、兒玉芽生だけでなく、国内の高校トップクラスがたくさん在籍していました。私自身が足を使う野球をしたいということもあって、陸上部監督の穴井伸也先生にランニングメニューを組んでもらったり、ランニングフォームを指導してもらいました。そもそもフェンス一枚隔てた向こうで日本一のアスリートが練習しているのですから、学ばない手はありませんよね。そのおかげもあって、梶原が100mで県2位になった時の県1位もウチの選手でした。穴井先生は『速く走るためには腹筋が大事』と言って、兒玉ら女子部員にも『今日は腹筋500ね』という指導をしていたので、私たち野球部も腹筋は500から1000回が当たり前でしたよ」(久良さん)


飛距離もソフトボール投げも軽々とK点越えを連発

梶原は高校時代に通算20本塁打を放っている。梶原が打撃練習を始めると野球部員がライトフェンス前に並び、フェンスの向こうで練習している兒玉ら陸上部員に打球が直撃しないように備えた。ところが、梶原が放った打球は陸上部員の頭上をもはるかに超えて、学校敷地外にある雄城荘というアパートの屋根に着弾していくのである。

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