”興南家系”を飛び出した柳ヶ浦の「NEXT宮城」 甲子園で目指すエースで4番
クロス角に決まる最速134㌔のストレートは、実数値以上にパワフル。右打者の内角を果敢にえぐり、カーブ、スライダー、フォークで打者を翻弄。牽制を得意とするなど、実戦に強い左腕だ。
打者としても秋は公式戦打率・333をマーク。通算本塁打は0ながら秋はチーム最多タイの6打点を挙げ、九州大会の準決勝(エナジック戦)では4番も務めた。
出身は沖縄県名護市。久辺中時代は沖縄本部ポニーでプレーし、中学3年時にはポニー日本代表にも名を連ねた宮城。祖父の兄弟には、1969年夏に興南で甲子園に出場した宮城光洋さんがいる。光洋さんは当時、2年生捕手として我喜屋優主将(現・興南監督)らとともに4強入りに貢献。「興南旋風」を巻き起こしたチームの一員として、沖縄に大フィーバーをもたらした人物だ。
「他にも祖父方には興南で野球をやっていた人たちがいます。ウチは“興南家系”なんです」
憧れの存在は、やはり興南出身で同姓の宮城大弥(オリックス)。その“先輩左腕”が緩急自在に相手打者を翻弄する姿に、宮城介は自らの将来像を重ねているようでもある。
宮城大弥は投げるだけでなく、打つことに関しても非凡な野球小僧だった。「投げて良し、打って良し」。171㌢、76㌔(1年冬時点)のシルエットも含めて、両者のイメージが重なる部分は多い。
それでも宮城は、大好きな沖縄を離れることを決意した。
「親戚に興南ゆかりの人もいるし、家からエナジックスポーツが近かったので、県内進学も選択肢にありました。でも、日本代表を経験したことで“県外でやってみたい”という気持ちが強くなりました。柳ヶ浦の鈴木聡監督は、何事にも全力な方です。この人のもとでなら、人間的にも成長できる。しっかりした私生活が送れるだろうと思いました」
柳ヶ浦では1年夏からベンチ入りした。登板こそなかったが、敗れた準々決勝の明豊戦では打力を買われ、1番・右翼手でスタメン出場している。秋は県準々決勝から登板し、公式戦7試合で防御率0・42。しかし、21回2/3で13四死球。ロングイニングでのスタミナ不足も露呈した。課題克服のため、この冬は1日トータルで100球以上、多い日は150から200球を投げてスタミナ強化に取り組んでいる。
高校時代の宮城大弥が歩んだ、大エースへの道を突き進む宮城介。「甲子園もエースで4番を狙います」と語る男の全身には、何かをやってくれそうなオーラが漲っている。
宮城 介
みやぎ・かい
柳ヶ浦 投手 2年※新学年
171㌢、76㌔、左投左打
2008年9月19日、沖縄県名護市生まれ
名護市立久辺中(沖縄本部ポニー)
50m走:6秒9、遠投:98m
好きなプロ野球チーム:なし
好きなプロ野球選手:宮城大弥(オリックス)
尊敬する人物:とくになし