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【高校トピックス】十代の野球部長が誕生 木曽青峰・宮下虹夢部長

木曽青峰の実習助手、宮下虹夢(にじむ)教諭がこの4月から、野球部長に就いた。2000年12月生まれの若干19歳の野球部長は、県内最年少。2年前まで高校球児だった宮下部長は、2歳しか違わない部員たちを〝兄貴分〟として支えている。

↑ バッティング投手を務める宮下部長

「中学のころから高校の教員になりたかった」という宮下部長は、飯田OIDE長姫高を卒業した昨年度、実習助手で木曽青峰に採用された。木材加工などの作業があるインテリア科で、実習作業の補助に当たる。

昨年度は、野球部の顧問ではなかった。しかし授業で野球部員と関わるうちに、「野球部に携わりたい思いが強くなった」ところ、森大樹監督(30)からも声がかかり、今年度から部長に就いた。

指導者になり、「教えることは難しい」と痛感。「監督の発言や行動から勉強しながらやっている。生徒が一生懸命で、こちらも刺激を受け頑張ろうと思える」。

ひと際若い部長だが、森監督は「マネジャーと一緒に率先してボールふきができる部長。その姿が一番生徒に伝わる」と信頼する。保護者を前にしても堂々と話ができるという。

飯田OIDE長姫では、最速135㌔の左腕エースとして活躍。2年前の3年夏、大会直前に調子を崩した。当時の伊澤正臣監督から「厳しくはっぱをかけられた」と言い、「おかげで最後まで頑張れた。そのときの先生の気持ちはよく分からなかったが、今、この立場になってみて分かるようになった」と感謝する。

↑ 高校時代の宮下部長

今も豪腕は健在で、バッティング投手も務める。「まだまだ選手たちには負けていない。一緒にできるのは楽しい」。森監督も左投げ投手で、さながらサウスポー王国だ。

宮下部長は「生徒には監督に言えない悩みもある。より年が近い自分が、それを減らすクッションになって支えてあげたい」と役割を自覚する。

↑ 選手と状況について話し合う宮下部長

飯田市出身。鼎中野球部では中体連で県8強入り。

 

【チームレポート】
インターンシップ・高山もえか(元松本深志高野球部マネジャー)

「6月に入りやっと練習が再開したところ。大会に向け、今できることを一つずつ積み重ねていく」と森大樹監督。昨秋、県大会で初勝利を挙げてセンバツ21世紀枠の県推薦校に選出された同校は、新1年生7人を迎え、テニスボールを使った独自の練習も交えながら実戦感覚を呼び覚ましている。

大会まで1カ月を切った中でも、テニスボールを使って紅白戦を行う。試合は1チーム6人。「少人数のため選手同士の会話が重要になる。ポジションも選手たちで決めさせることで力を付けさせている」と、コミュニケーションを大切にする森監督は狙いを説明する。

↑ テニスボールを使ったミニゲーム

またテニスボールは硬式球に比べ、跳ねた後の変化が大きいため、正しい捕球を自然と身につけられるのもこのメニューの魅力という。

グラウンドでは、3人のマネジャーも大きな声を出して練習に参加。「選手とマネジャーの仲も良い。時にマネジャーが選手に活を入れることもあるからこそ、強いチームになった」と森監督も評価する。

今シーズンからユニホームを新調。胸元のロゴは力強く「木曽青峰」と漢字でプリントされた。3年生マネジャー・下會所響さんが思いを込めて書いた文字。バッティング練習では外野でボールを拾い、選手の柔軟トレーニングでは〝優しく〟負荷を掛けてあげるマネジャーたちだ。

「マネジャーを含めおのおのが与えられた仕事を確実にこなす。みんなで1つずつアウトを取る。この姿勢で勝利をつかんでいきたい」。森監督の思いは、練習に励む全部員の姿勢からも見てとれた。

夏の選手権大会に代わる大会となったが、「どんな状況、大会であれ目指すものは変わらない。確実に勝ちに行く」。常に笑顔で声を掛け合いながら練習に励む部員たちは、一致団結 して大会に臨む。

 

 

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