久保憲司のロック・エンサイクロペディア

デヴィッド・ボウイが亡くなった。 (久保憲司)

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デヴィッド・ボウイが亡くなった。

 

 

結局、デヴィッド・ボウイが最後に公の場で歌ったのはこの2006年11月9日のボウイの奥さんイマンとアリシア・キーズが主催するアフリカのエイズ教育と医療基金を目的とするチャリティー・ライブだった。

 

 

僕としてはこの前のステージ、同じ年の5月29日ディヴ・ギルモアのコンサートに突如現れ、ボウイが憧れたシド・バレットの曲をシド・バレットの友達たちと楽しげに歌ったステージを最後と思っていたい。もう一曲ピンク・フロイドの「コンフォタブリー・ナム」をやっていて、ロジャー・ウォータースのパートを歌っている。

 

 

これらのライブ・ゲストの前に、グラミー賞の生涯厚労賞を受賞したが出席せず、「1年間休みを取るよ、ツアーも、アルバムもなしだ」と言っていた。それから何年も音沙汰がなく、なんとなくボウイは引退したのかなと思っていた。そのあっけなさはボウイらしいかなとも思っていたら、突然2013年にアルバム『The Next Day』がリリースされた。しかもベルリン時代を振り返ったようなアルバム。

 

https://www.youtube.com/watch?v=F2nJHVNTHNw

 

ボウイが完全に戻ってくると思わせてくれたが、アルバムからのセカンド・シングル「Stars ( Are Out Tonight)」のPVは隠居して普通の人になった人を演じ「こんな生活いいよね」と言っているのだ。まさに家族のために過ごしたここ7年のボウイの生活そのものの、帰ってきたいのか、帰ってきたくないのか、どっちやねんとヤキモキさせるPVだった。でも、このネット時代、リアルなスターなんか要らないでしょう。これからのデヴィッド・ボウイはヴァーチャルの世界から攻撃するぜ、とも感じさせてくれる『The Next Day』のプロモーションの仕方はなかなかかっこよかったです。

 

 

そして、デヴィッド・ボウイの大事なルーツのひとつであるロックン・ロールを極力排したアルバム『Blackstar』が届けられた。ロックなアルバムだった『The Next Day』とは好対照なアルバムだった。

 

 

デヴィッド・ボウイが大好きだったロックンロールを排したことからもボウイは『Blackstar』を最後のアルバムと思って作っていたのではないと思う。

ボウイがいなくなった今、もうこの最後の2枚のアルバムが、ボウイの未来にどういう意味を持つものだったのか、全く分からなくなってしまった。

ジギー・スターダスト 対象商品 いや、これからいろんな人からボウイがどういう思いでこれから活動していこうとしていたかということは語られるだろう。

でも、もうそんなことは僕にはどうでもいい。ボウイはいなくなってしまったのだ。

ボウイにひとつだけ聞きたいことがある。ずっと安息の地を求めていたのか? それともずっと何かを探し続けていたのか?

そして、それは見つかったのか?

いや、見つからなかったのだろう。だからボウイはまた戻ってきたのだ。

ボウイは、ずっと何かを探し求めていた人だったな。

そして、この世界はどうしようないクソだが、僕は君を絶対助けてあげることが出来ると願った人だった。

『ジギー・スターダスト』『ダイヤモンドの犬』はまさにそういうアルバムだった。

 

 

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