久保憲司のロック・エンサイクロペディア

【世界のロック記憶遺産100】 ドアーズ『まぼろしの世界』  ・・・LSDがこの世界を調和する、という幻想 (久保憲司)

Strange Days

 

前回の【世界のロック記憶遺産100】ジャニス・ジョップリン『チープ・スリル』で“ジム・モリソンはステージでオナニーした奴”とディスったのに批判する人が一人もいなくって、ラッキーと思ったが、ちょっと悲しかったです。僕が子供の頃はロックの神様といえばジム・モリソンだったのに。

限りなく透明に近いブルー (1976年) 村上龍の小説「限りなく透明に近いブルー」のリュウとジム・モリソンを同一視して、将来大きくなったら、福生に住んでヘロインやるんだと思っていたんですが、パンクが勃発して「ドラッグなんかあかん」という子供になったので、ジャンキーにならなくって本当によかったなと思います。

大人になって「限りなく透明に近いブルー」を読み直したら、村上龍さん、米兵にケツの穴掘られていて、うわっ、これが江藤淳が言う“この小説はアメリカにカマを掘られている”ことかと思った。本当にカマを掘られていたんですね。14歳だった僕はまだアナル・セックスのことを知らなかったのです。

海兵隊の人間にケツを掘られるとか、どうかと思いますよと、職業差別的なことを言う。

僕が海兵隊の人たちと一番付き合いがあったのは日本のレイブ時代で、93年頃です。新橋のクロノスとかコニーのトワイライ・ゾーンなんかで海兵隊の人たちが基地から逃げてきてEをやっているの見て、お前らなんでヒッピーみたいになるの、ダサいと思ってました。僕はロンドンのアシッド・ハウス直系なので、レア・グルーヴ、ブレイク・ビーツなアーバンさをセカンド・サマー・オブ・ラブに感じていたので、レイブのゴア化、ヒッピー化がいやでいやで仕方がなかったです。

日本のレイブ・シーンは結局ゴアな方にいくんですけどね。レイブは都市に住む子供たちが週末だけ野原や倉庫でパーティーする感覚がかっこよかったのに。

僕はいつだって文化の主流じゃないのです。ドアーズの傑作『まぼろしの世界』もまさにそういうアルバムです。俺は主流じゃないからというのがかっこいいアルバムです。

Doors 普通はドアーズの最高傑作といえば彼らのデビュー・アルバム『ハートに火をつけて』なんですが、僕は『ハートに火をつけて』と同時期に作られたが、そのデビュー・アルバムに入らなかった暗い曲で構成された『まぼろしの世界』こそドアーズの本当の最高傑作だと思うのです。

彼らがデビューしたのはサマー・オブ・ラブ、フラワー・パワー全盛の頃、ラブ・アンド・ピース、そういうのに「ケッ」と唾を吐きかけたのがヴェルベッド・アンダーグラウンドです。「LSDやって、この世界は調和されている」とか言ってんじゃないよ、LSDやって一晩幻想の世界を見るんじゃんなく、スピードやって社会のゴミを寝ずに俺は見るんだ、それを俺は歌にするんだとルー・リードは言った。

日本だとフラワー・ムーブメントはラブ・アンド・ピースという認識ですが、本当はラブ・ピース・アンド・ハーモニーなんです。ヒッピーの問題点って、ラブ・アンド・ピースじゃなく、ハーモニーなんです。これがお花畑と言われる所以です。愛と平和は誰もが求めるもの、これらを手に入れるために、討論せずに調和して行こうというのがヒッピー文化の失敗の原因です。

 

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tags: Jim Morrison John Cunningham Lilly Lou Reed The Doors 村上龍

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