久保憲司のロック・エンサイクロペディア

【世界のロック記憶遺産100】 ザ・スミス 『ストレンジウェイズ・ヒア・ウィ・カム』 ・・・モリッシーが見つけた永遠。太陽のように光輝く最後の傑作アルバム (久保憲司)

ストレンジウェイズ、ヒア・ウイ・カム

 

モリッシーのライブ行かれた方、みなさんどうだったでしょうか?

あの若い人たちを従えたロカベリーチックなスタイル好きなんですよね。

今はメンバーの皆さんおっさんになってます。普通モリッシーくらい名のある人って若い人を入れないですけど、モリッシーの潔さいいです。

 

こういうことを一番最初にやったは、クラッシュでした。ミック・ジョーンズを首にした時、ジョー・ストラマーとポール・シムノンがクラッシュを立て直す方法に使ったのが若い人を入れることでした。当時は不評だったんですが、僕はかっこいいなと思ってました。というか、誰もこんなクラッシュがあったなんて知らないんじゃないでしょうか?彼らのいい演奏のライブ映像が残っていないの残念です。僕はブリクストン・アカデミーで見たんですが、若々しくっていいと思いました。

 

 

 

レコードの方はあまりうまくいかなかったのですが。

このアイデアはジ・ポップ・グループ、元リップ・リッグ・アンド・パニックのギャレス・セイガーに受け継がれて、新生クラッシュにいたニック・シェパードとヘッドというバンドを作った。ヘッドもカッコよかった。ギャレス以外の若い子はカウボーイのズボンを裸で着させられ、ゲイの人が見たらきっと興奮するライブだったのではないでしょうか。

 

ヘッドは全然受けませんでしたけど、今はトリップホップの前兆と言われるバンドとして再評価されているみたいです。

僕がスミスを初めて見たのは、彼らのロンドンの6回目のライブの時で、僕は元バズコックス、元マガジンのハワード・ディヴォードが初のソロ・ライブをするというので見に行きました。その時の前座がスミスだったのです。ジョン・ピール・セッションが流行っていて、カセット・テープにとって音は聞いていたのですが、ごちゃごちゃして音の悪いバンドだなというのが彼らの印象でした。でも、彼らがステージに出てきた時、僕は一瞬にしてクギ付けになりました。

ヴォーカルはなぜか花束を持っていて、それをぶん回しながら歌っていました。しかもレースの服を少し胸を開けて着ていた。首にはビーズの首飾りが何本も巻かれていて、クソヒッピーな格好をしていた。ヒッピーと言っても70年代のヒッピーじゃなく、67年のヘイト・アッシュベリーの格好、でも、顔が長島茂雄にしか見えない。なんじゃこれはと驚きました。今はヒッピーの歴史を知っていて、IVYリーグの若者たちがヒッピーになったから、ジェームス・ディーンみたいな男がヒッピーな格好をしていても不思議な感じはしないけど、82、3年の頃のヒッピーの印象って、マリファナ吸って、「ピース」と言っている人しかいなかったので(今から考えるとこの認識も間違っている。こういう人たちの中からニュー・エイジ・トラベラーズという面白い動きが出てきたのだから)、なんじゃこりゃと思ったのです。

しかもギターのやつはリッケンバッカーを弾いている。こちらも今は、意識があるギターリストならリッケンバッカーを弾きますが、当時はジャム好きなのくらいしか思われない古臭い以外の何物でもなかった。しかも音が一切歪んでいない。当時の音楽では考えられない。バキバキの澄んだ音でアルペジオを弾くなんて、あの頃のギターリストはアルペジオなんて知らないんじゃないかと思うくらい全員ギターを掻きむしっていた。

とにかく音以上にそのスタイル、アティチュードにやられた。何一つ当時のバンドとの共通点がなかったのです。冷静に考えると「元ネタはモロクローム・セットか」と思えたかもしれないけど、完全に口をあんぐりと開け見てました。

ロンドンでは6回目(結成以来16回目)のライブと書きましたが、地元マンチェスターからのファンなのか桜なのか分からない一団が付いて来ていて、スミスが始まった途端、まばらな客席に花を撒き散らしながら突進していきました。スミスに感動した僕は、その軍団の一人に、「すげぇバンドだな、なんなのこのバンド?どんなこと歌っているの?」と聞くとそいつは「朝起きて、紅茶の牛乳を入れようとしたら、ルームメイトに牛乳を全部飲まれてたようなこと歌ってんだよ」と答えました。僕はその当時の最後の曲が「ミズラブル・ライ」とも知らず、当時ロンドンで大ヒットしていた芝居レ・ミズラブルから覚えた英語を使って、「それはミズラブル(悲惨)ということか?」と訊くと、そいつは「そうだ」と答えました。この時喋った奴はのちにバズコックスのドラマーとなったフィル・バーカーで、フィルは「あいつら、明後日、ディング・ウォールズでライブやるからお前も来いよ」と叫んで、もっとステージ前に突進していきました。

僕にとってスミスとは悲惨なんです。あの頃のイギリスはそうだったのです。あんな何の希望もないところでよく生きていたなと思う。あの頃、僕らにあったのは若さだけだった。モリッシーはジジ臭いと言われたこともありますが、モリッシーが歌おうとしていたのは「目を蹴飛ばしてやるぜ」という若さなのです。

 

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tags: Head Morrissey The Clash The Smith

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