久保憲司のロック・エンサイクロペディア

R.E.M.『マーマー』 …R.E.Mは等身大のバンド、僕らと同じ目線のバンド。ギターのピーター・バックは売れてからもレコード屋でバイトして、バイト代の代わりにレコードをもらっていた。地元アッセンズで (久保憲司)

 

 

ジョニー・マーの自伝と違って、モリッシーの自伝を読んでもあまりスミスがどうやって出来たか分からないのが残念と前に書きましたが、読み返していたら「スティル・イル」はセックス・ピストルズの公演で知り合ったバズコックス、ハワード・デボートの彼女で、後にモリッシーの親友となるリンダ・スターリングに「まだ病気?」ときかれたことが始まりと書かれていました。モリッシー17歳の時です。道を歩いていて、突然誰かに殴られて、顔面血だらけになりながら歩いていても誰も助けてくれなかった頃の歌です。そりゃイギリス、マンチェスター死ねという気持ちになりますよね。

リンダ・スターリングは初めてモリッシーに会った時、彼が風邪をひいていたので、「病気治った?」と聞いたんでしょうけど、後のことを考えると「中二病?」ってきいているようにしかきこえないですよね。

アデルのファースト・シングル「チェイシング・ペイブメント」もそんな曲です。いや違った「チェイシング・ペイブメント」は浮気をした彼氏をぶん殴って、トボトボと道端を歩いていた歌です。デビュー・アルバムが『19』というタイトルなので、19歳とか18歳頃の歌でしょうね。年齢は近いけど、全然違いますね。女性の方が強い。

「チェイシング・ペイブメント」は母親の事情で突然ブライトンからブリクストンに引っ越さなければならなくなって、道の端をトボトボと歩いていたら、知らないオバちゃんから、「お嬢さん、大丈夫?、どうしたの?」と声をかけられる歌かと思っていたら、彼氏に浮気されて、ぶん殴って、別れて、という歌で、さすがヤンキー姉ちゃんという感じです。

日本だと子供が寂しそうに歩いていても、「大丈夫?」って声をかけないですよね。昔はイギリスみたいに声をかけていたような気がしますが、今だったら「うるせい、ババア、死ね」と言われてしまいそうですね。今もイギリスだったら「マインド・ユア・オウン・ビジネス(ほっとけや)」って言われるか。

モリッシーにはもっと何故マーク・ボラン、ニュー・ヨーク・ドールズがカッコよかったか語ってほしいのに、残念です。でも唯一モリッシーの自伝を読んでいて、早々、このバンドのすごさとはこれなんだよと語ってくれているのがR.E.M.です。

 

 

ザ・スミスとR.E.M.はほとんど同時期にデビューし、よく比較されていました。ザ・スミスは孤高のバンドと思っているモリッシーだったら比較されるR.E.M.のことをボロクソに言ってもいいと思うのですが、この二つのバンドは共犯関係のように仲が良かった。

1989年、マイケル・スタイプはR.E.M.のハマースミス・オデオンのコンサートの前にモリッシーのクイーンズウェイ、キャロライン・プレイスの家に現れた。二人は近所でお茶をした。

 

 

 

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tags: adele Johny Marr Michael Stipe Morrissey R.E.M The Smith

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