久保憲司のロック・エンサイクロペディア

『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』 「フジロックに政治を持ち込むな」と騒いだ人たちを笑うかのように、グラストンベリーを支えたのはヒッピーと反核団体の「政治」でした (久保憲司)

 

暑い夏ですが、皆さん、ロック・フェスをお楽しみでしょうか?

フェスに行ったことがない人は、SNSなどを見て、なぜそんな大変な思いをしにフェスに行かないといけないと思われていることでしょう。昔、クラフトワークが初めて日本のフェスに出た時、何のフェスだか記憶が飛んでしまっているのですが(2002年のエレクトグライドだったかな)、彼らのファンが「席はないのか」と怒り狂ったことは今では忘れられない思い出です。そんなクラフトワークですが、2014年のサマーソニックに出た時は、そんなことに怒っている人はもう誰もいなかったので、だんだんとみんなフェスってこんなものかと慣れていっているのでしょう。

今年のフジロックでもボブ・ディランを見たいおっちゃんが、雨と暴風にさらされながら、神様を最前列で見たいと頑張ったようです。そんな人たちからフェスはこりごりだという声は聞こえてこないので、フェスというのも定着していっているのでしょう。よかったです。

僕が子供の頃、1982年とかはフェスなんて、ヒッピーが行くもの、ダサいもの絶対行くかという感じでした。そんな僕だったんですけど、1983年のグラストンベリー・フェスティバルにティアドロップ・エクスプローズのジュリアン・コープが、ティアドロップ解散後初のソロ・ライブをやるというので、いやいや行ったのです。そしたら、グラストンベリーはすごくいい感じで、他のフェスティバルと言ってもこの頃はレディング・フェスティバルくらいしかなかったのですが、全然そんな感じじゃなかったのです。その頃のフェスというとヘヴィ・メタが主流で、レディングも頑張って、パンク、ニュー・ウェイヴをブッキングしてたんですけど、全く人が入らず、フェスといえばハード・ロック、メタルのバンドが出るという感じだったのです。そんな中で自分たちが普段見ているライブ・ハウスのバンドが出ている感じがとっても良かったのです。といいつつ、普段ライブ・ハウスで見ているバンドをこんな原っぱで見る必要があるかと思っていたのが、僕の正直な感想でした。でもグラストンベリーはライブだけじゃなく、映画があったら、遊園地があったりして、全く違う感じだったのです。

のちにローラパルーザをやるジェーンズ・アディクションのペリー・ファレルがグラストンベリーに来て、スタッフに「すごいね、なんで、こんなことが出来るの、イギリスはすごいな」と言ったら、「もともとは君の国でやっていたもんだよ。ウッドストックに影響されてやっているんだよ」と言われたのは有名な話です。そして、すぐにロラパルーザを立ち上げるんですが、アメリカはデカイ、人も多いイギリスだとグラストンベリー一回だけなのが、同じようなのを何箇所でも出来た、そして、それはたくさんのお金を生み、商業主義にまみれ、ペリー・ファレルが望んでいたものと違ったものになっていって、消滅した。そして、今のフェス・ブームで復活し、都市型のフェスとして、大成功を収めていくわけです。

フジロックだけじゃなく、色んなフェスに影響を与えたのがグラストンベリーなのです。

グラストンベリーがなぜそんな存在になれたかというと、商業主義にハマりがちのロック・フェスティバルで、そういう世界とは無縁な感じでやってきたからです。ウッドストックに憧れて始められたグラストンベリーですが、当初はうまくいかず、1970年、71年に二回開催しただけで止めてしまいます。そんなグラストンベリーが活動を再開するのは1978年です。この頃、近くのストーンヘンジで毎年トラベラーズというヒッピーたちがフリー・フェスティバルをやっていて、その流れで即興的に再スタートしたのが復活したのが新しいグラストンベリーでした。集まったのは500人、そして、その翌年から、ピーター・ガブリエルなどのビッグ・アーティストを呼び、CNDという反核団体へのサポートという感じでスタートしたのです。グラストンベリーを支えたのはトラベラーズと反核団体なのです。フジロックに政治を持ち込むなと騒いだ人たちを笑うかのように、コーチェラ、フジロック、ロラパルーザなどの今のフェスティバルの基礎を作ったグラストンベリーを支えたのは政治だったのです。そして、もう一つ忘れてはならないのはパンクです。トラベラーズ、CNDなどのヒッピーの流れを組むカルチャー、運動はパンクという新しい種族、カルチャーの登場により活性化したのです。

そして、そんなグラストンベリーをもっと大きくしたのは、89年以降のレイブ・カルチャーとの融合もとっても大事でした。レイヴァーたちはレイブの親玉はグラストンベリーじゃないかと流入してきたのです。この頃のグラストンベリーが頂点だったのではないでしょうか。

僕が初めてグラストンベリーに行った1983年に話を戻します。そこで今フジ・ロッカーズを仕切っている花房浩一さんに会ったというか、そんな場所にいる日本人なんて僕しかいなかったので、「なんで来てるの?取材させて」ということから、花房さんとの付き合いが始まるわけです。花房さんは日本にグラストンベリーのような反核のメッセージを持ったフェスをやりたいと来ていたわけです。

 

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tags: Wood Stock フジロック 日高正博 花房浩一

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