久保憲司のロック・エンサイクロペディア

ヴァン・モリソン『アストラル・ウィークス』 アレサ・フランクリンともう一人の偉大なソウル・シンガーの「我思う、ゆえに我あり」 [世界のロック記憶遺産]

 

世界のロック記憶遺産100 アレサ・フランクリン『アイ・ネヴァー・ラブド・ア・マン・ザ・ウェイ・アイ・ラブ・ユー』で、“僕にとっての2大ソウル・シンガーの一人、アレサ・フランクリン”と書きましたが、今回はもう一人の偉大なソウル・シンガーのことについて書きます。もう一人はオーティス・レディング、じゃなく、ヴァン・モリソンです。凄いでしょう。白人です。偉大なソウル・シンガーが白人ですよ。いつか日本人からも偉大なソウル・シンガーが誕生するんじゃないかという気にさせてくれませんか。

 

 

もしオーティスを生で見てたら、2大ソウル・シンガーはオーティスとアレサなのかもしれませんが、いや、やっぱりヴァン・モリソンかな。

アレサ・フランクリンとヴァン・モリソンの共通点と言えば飛行機が嫌いなことです。だから現地じゃないとライブが観れないのです。僕はヴァン・モリソンをイギリスで何回も見れてます。でもアレサは見れなかったんですよ。本当に唯一の心残りかもしれません。

フジ・ロックについにボブ・ディランが来て、ニール・ヤング、ルー・リードとオーガナイザー日高正博さんの夢がどんどんと実現していますが、日高さんの最後の夢はフジ・ロックのステージにヴァン・モリソンが立つということだと思うんですけど(あとはブルース・スプリングスティーンですかね)、あの飛行機嫌いはどうしようもないでしょうね。あとヴァン・モリソンは変わってます。

昔日高さんとヴァン・モリソンを見に行ったことがあるんですけど、わざわざ日本からプロモーターが来ているのに、プロモーター、昔は呼び屋と呼ばれていた職業です。呼び屋ってすごい言葉、差別用語ですよね。海外で使われるアーティストを宣伝する人(プロモーター)という方がいいイメージです。昔はそうやって、有名アーティストを呼んで儲けるというイメージ(興行屋、呼び屋)しかなかったのを、日高さん、スマッシュは変えて行ったのです。

スマッシュって、フジロック以外にも音楽業界にたくさんの功績があるんです。今は普通となったスタンディングというスタイルを定着させたのもスマッシュです。クラブ・クアトロなどがスタンディングでお酒を飲みながらという外国ではあたりまえのスタイルをやっていこうとしたのも日高さんの強いサポートがあったからです。日本でもスタンディング、モッシュは定着しましたが、ライブ中に酒を飲むというのは定着しませんね。日本でライブ中に酒を買いに行こうとすると、他のお客さんが「私はすごく真剣にライブを見ているのに、なんであなたは私の邪魔をするのか」とすごく嫌な顔をするんです。レコードを聴いている時に少しでも音を出そうものなら怒られた昔のジャズ喫茶の頃と何も変わってないですよ。日本はずっと一緒なんでしょうか。だからみんなフジロック、フジロックと騒ぐんでしょうね。あそこだけ、あの日だけ特別みたいな。いつでも特別な日にしたらいいのに。

昔日高さんに「なんでそんなに外国のバンドばっかり呼ぶんですか?」と聞いたことがあります。その頃の僕はイギリスに住んでいて、イギリスの文化にやられて、こうしたバンドはイギリスの文化が生んでいるもの、そんなものを日本に呼んでも何も意味ないと思っていた頃の僕の質問です。世界のロック記憶遺産100『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』で書きましたが、日高さんとグラストンベリーに行って、日高さんが「こんなのやりたいな」と言った時に“絶対出来るわけないっしょ、これはイギリスの文化が生んだお祭り”と思ったのと一緒の頃です。日高さんの答えは「毎日いろんな所でライブがあれば楽しいだろ」でした。日高さんは多くを語らない人なので、僕が付け足すと、“きっとそうやってれば日本は変わるだ”と僕は思うのですが、どうでしょう。

 日高さんは政治的な人ではないです。どちらかと言えば保守な人です。僕は音楽業界に14歳くらいから出入りしていて、そこであった人というのは大体左の人でした。で、僕はそういう人たちが大嫌いでした。お前ら偉そうなこと言うけど、何もしないじゃんと思っていたのです。僕はパンクでしたし。今や大作家であられる町田町蔵さんの INU時代の名曲「インロウタキン」の “京都に巣食う亡霊共も 西部にこもって” ですね。学生運動の生き残りの人たちは亡霊だったのです。今だったらネトウヨどもにやられまくる詰めの甘い人たちです。保守でも一緒か、ノイホイこと菅野完が女性、お金関係でおかしいからな。日高さんが保守なのかどうなのか全く分からないのですが、日高さんが日本から来る時に飛行機で読んでくる雑誌が文藝春秋だったので。僕は音楽業界で初めて文藝春秋を読む人を見ました。ロックはアサヒグラフじゃないのと思ってたので、衝撃でした。僕は日高さんが読み終わった雑誌をもらうのが毎回楽しみでした。

一体僕は何の話をしているのでしょう。最後に一言、ビースティ・ボーイズのアダム・ヤウクがやっていたチベットの人々に起こっている問題を世界に知らすべく始まったチベタン・フリーダム・コンサートを日本でオーガナイズしたのもスマッシュでした。日高さん、スマッシュというのは多くは語らないですがそういう会社なのです。

昔日高さんとヴァン・モリソンを見に行ったことに話を戻しますと、プロモーターがわざわざ日本から来ているのに、ヴァン・モリソンは会おうとしないのですよ。ヴァン・モリソンのエジェンシーが「声をかけたらダメだよ、僕の首が飛ぶから」とライブ前に注意事項を日高さんに言っているんです。それを僕は横で聞いていて、この人は一体何を言っているんだろうと思ってました。でライブが終わって、楽屋前で待っていると、ステージを終わったヴァン・モリソンが戻ってきた時に、日高さんが「日本に来てくれ」と直談判するという雰囲気を察したんでしょう、日高さんが「ハロー」って言う声を妨げるかのように、「マサ、俺の首が飛ぶ」と日高さんを羽交い締めにしてしました。今だとスター・ウォーズの監督ジョージ・ルーカスみたいに、ジョージ・ルーカスの会社に入って、彼を見かけても絶対彼を見ちゃダメとかそんなとんでもないルールの話を聞くようになったので、驚きませんが、僕が初めて見た偏屈の人でした。でも、誰よりもソウルフルなんですよ。あの声を聞くと誰もが納得すると思いますが。

ヴァン・モリソンのグラストンベリーのステージを見た時はもっとすごかったです。フェスというのはあまりリハが出来なくって、一曲目というのは大体捨て曲というか(つかみで一番大事な曲でもあるのですが)、音がうまくまとまらずに、ステージ上ではみんな「ギターの音を上げろ」とか「ヴォーカルが聞こえない」とかの指示だしで、てんやわんやしているわけです。うまいバンドは一曲目の中盤くらいでまとめたり出来るんですけど、でも音がまとまって、うわっーやっぱこのバンド最高と思わせてくれるのは3曲目くらいですかね。僕はこの時の空気が変わるような、世界が変わるような瞬間が大好きです。

ヴァン・モリソンはグラストンベリーのステージに出た時、ずっと後ろを向いているんですよ。で、バンドの音がまとまったなと思った時に、振り向いて歌いだすんです、その時の世界が変わっていくかのような瞬間を僕は今まで体験したことないです。

 

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