久保憲司のロック・エンサイクロペディア

ブライアン・イーノ 『ヒアー・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ』 音楽家じゃない人がステージに立つ時代が来たのです。そんなことが出来たのはイーノだけかもしれません

 

ロキシー・ミュージックを辞めたブライアン・イーノは画期的なアルバムを1973年にリリースしました。デビュー・アルバム『ヒアー・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ』です。

イーノが歌っている彼のアルバム『ヒアー・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ』『ティキング・タイガー・マウンテン・ストレジー』『アナザー・グリーン・ワールド』『ビフォー・アンド・サイエンス』はいつ聴いても新鮮な閃きを与えてくれます。

『ヒア・カム・ザ・ウォーム・ジェット』の一曲目「ニードルス・イン・ザ・キャメルズ・アイ」なんて、ヴェルベッド・アンダーグラウンドの「アイム・ウェイティング・フォー・ザ・マン」を下地に、そんなヴェルベッド・アンダーグラウンドに影響を受けたドイツのサイケデリック、クラウト・ロックのNeu!が産んだハンマー・ビートをプラスしたのはよく分かるのですが、どこかシド・バレットというか、カンタベリー・ロックのイギリス的な牧歌的な柔らかさもしているが、タイム・スリップしたUFOが未来から持ってきたようなフューチャリスティックな輝きも感じる。まさに後のポスト・パンク誕生を予感させる音楽です。

ロキシー・ミュージックのデビュー・アルバム『ロキシー・ミュージック』は世界初のポストモダンのアルバムで、最初のパンクの元ネタと書きましたが、パンクの重要なメッセージ「俺たちは音楽を作っているんじゃない、カオスを作っているんだ」「音楽じゃなきゃなんでもいい」を最初に言ったのがロキシー・ミュージック時代のブライアン・イーノです。彼は「僕は音楽家じゃない(ノン・ミュージシャン」と言ったのです。

音楽家じゃない人がステージに立つ時代が来たのです。そんなことが出来たのはイーノだけかもしれませんが。しかものちにU2の世界的ヒット・アルバム『焔』をプロデュースしたりするのですから。

 

 

ステージで何もしてないかのような原型を作ったのはイーノです。スパークスの兄、ソフト・セルのデイブ・ボール、スリーフォード・モッズのアンドリュー・ファーン(この人は本当にステージ上で何もしなくなりました。スタートのボタンを押すだけ、ヴォーカルがホームレスのオッチャンにマイクを奪われそうになっても笑って見ているだけです)、この原型はザ・フーのジョン・エントウィッスルかもしれないけど(そして、それを引き継いだのがモノクローム・セットのアンディ・ウォーレン。パンクスがどれだけ彼にツバを吐きかけようとまったく微動せず、何事もないかのようにクールにベースを弾いていた)、とにかく何をしているのかよく分からないけど、ロキシー時代のイーノはかっこよかった。ちょっと前で言うと、ハッピー・マンデーズのベズみたいなものですか、彼の存在時代が音楽を語るみたいな。

 

 

キーボードもないシンセサイザーのスイッチをグルングルン回し、弾いているのか、音が出てるいのか出てないのか分からないキーボードと、ボンゴなのかドラム・シンセなのかよく分からない楽器を叩きまくる。演奏するよりもただ単に派手な服を着て、メイクをして、後のニュー・ロマンティックスの先駆けポーザー(ファッション・モデルのようにかっこつけて立つ)をきめているようにしか見えない、でも彼が奏でる気の狂ったようなシンセはELPのキース・エマーソンよりエキサイティングでした。しかも頭は禿げているのです。後のバズコックス、マガジンのハワード・ディヴォートそのままの顔ですけど、彼がどれだけイーノの存在に影響されていたのかがよく分かります。

 

 

ジグ・ジグ・スパトニックがデビューした時、友達のヤー・ヤーがロキシー時代のイーノのスタイルを真似した演奏をするとは思ってもみなかった。彼女も全然楽器出来なかったのですが、それを見た時、あー俺も子供の頃、彼女が今やっているように、あんな風にステージに立つこと憧れていたなと思い出したのです。一番憧れたのはイーノだったのです。その頃はエノって呼ばれてました。そうそう、ボウイがイギー・ポップのツアーに参加している時も何をしているのか、よく分かりませんでしたが(いやちゃんとキーボード弾いてましたけど)、あれって、主役のイギーより目立ったらあかんから、地味にやってはるなと思ってたのですが、あれはイーノをやっていたんだなと今気づきました。

それくらいイーノはかっこよかったのです。というわけでロキシー・ミュージックを辞めても、レコード会社はイーノを次なるスターにしようとソロをリリースしていくわけです。でも、まさかこんな変態アルバムをリリースしていくとは思わなかったでしょうね。セックス・ピストルズを辞めたジョン・ライドンと契約を続行したヴァージンがまさかパブリック・イメージ・リミテッドがあんな風に進化していったアルバムをどんどんリリースしていくとは思ってもいなかったみたいなもんでしょうね。

 

 

ジョン・ライドンは、セックス・ピストルズを辞めた時は、頭の中がグルングルンしていて、色々な構想があって、トンガリまくっていました。そんな中で一番かっこよかったのはバンドを作るんじゃなく、自分が搾取されまくっていた会社に対抗するためにバンドじゃなく会社を作るんだというアイデアでしたね。それでバンド名がパブリック・イメージ・リミテッド(株式会社)だったのです。会社なんだから、メンバーにちゃんと株式分割してたらいいバンドになったんでしょうけど、ジョン・ライドンは最終的にはよくいる中小企業のワンマン親父になったのが大失敗でしたね。

プラスティック・イーノ・バンドやったかな、イーノもすごいいろいろアイデアがあったみたいです。イーノもジョン・ライドンと同じようにあまり形にならなかったのですが、このソロをやる前に重要なプロジェクトをやってました。キング・クリムゾンのギター、リーダーのロバート・フリップとのプロジェクトです。ドローン・ミュージックの傑作『ノー・プッシーフーティング』です。現在日本に住んでいるティリー・ライリーに影響された元祖アンビェント・ミュージックです。

 

 

どういう音楽かといいますと、当時のテープ・ディレイを利用した音楽です。今はディジタルで音楽はなんでもコピぺできますが、当時は音楽を複製するのはアナログ録音機器を利用していました。

 

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