久保憲司のロック・エンサイクロペディア

『ノー・ニューヨーク』 なぜNYからこういう音楽が生まれたのか、興味は尽きないのですが、もうその記憶もどこにもないです。NYに行っても影も形もないでしょう

 

太陽と戦慄パート2”“ヒアー・カムザ・ウォーム・ジェット”で書ききれなかったことを補足したいと思います。

ブライン・イーノとロバート・フリップが求めたものというのを簡単に書くと、西洋のものではない音楽、白人の音楽ということです。

彼らのすぐ後にパンクという反黒人音楽が生まれたのはとっても興味深いです。

反黒人音楽なんて書くと、レイシスト・ミュージックか!という誤解を産んでしまいそうですけど、でもパンクからネオ・ナチのような勘違いしたパンク・バンドがたくさん登場したことを考えるとブライアン・イーノ、ロバート・フリップのメッセージを誤解したバカがたくさん生まれてしまったのでしょう。

音楽って危険ですね。「スワスティカ・ガール」やナチのメッセージのように感じるア・サーティン・レシオという単語などナチのスローガンをフリップ先生とイーノ先生が使っていたのは興味深いなと思います。

 


 

イーノ先生が言うには、スタジオに行く途中に、ポルノ雑誌からだと思うのだが、裸の女性が鉤十字を腕に付けてナチス式敬礼をしている写真が落ちていて、それを拾って、ミキシング・ボードに貼り付けて、イーノとフリップはぼんやりとその写真を見ながら、録音をし、その写真について話ていたそうです。今だったらあの有名なプーチンの上半身裸のカレンダーを見ながら録音するようなものでしょう。

ア・サーティン・レシオという言葉もコンプにかけるレシオの値をどうするみたいな感じだと思うんですけど、なんかイーノとかフリップが使うとナチぽく感じるんですよね。で、ジョイ・デヴィジョンと並びナチぽいものを使うことに喜びを感じ、バンドの服装などはナチのユーゲントみたいな格好をしていたア・サーティン・レシオがナチぽいよねという感じで使ったのです。

こういう流れって、みんなが嫌いなものを俺は使ってやるぜ、かっこいいだろうという意識と共に、反ドイツみたいな気運があったと思うのです。当時一番最先端の音楽と思われていたドイツの音楽、クラウト・ロックという言葉がザワークラウトという、食事の添え物、酸っぱい食べ物、本流にはなれないんだよという、バカにした言葉を使っていたのはそういう現れでしょう。

イーノとかフリップはそういう音楽が好きだったのです。

 

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tags: Brian Eno Robert Fripp

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