久保憲司のロック・エンサイクロペディア

ビージーズ「スティン・アライブ」 そう全部、妄想なのです。 妄想が世界中をディスコ・ブームにしたのです

 

 

子供の頃から財布を持たない主義でした。現金時代の頃はお店で、お金を裸でポケットから出しても変な奴と思われていなかったような気がするのですが、クレジットカード時代になってカードをポケットから裸で出したりしていると、お店の人が「こいつ、ヤバい奴か」というような電波を出しているのに気づき、財布を持ち歩くようにしました。先日「このキャッシュレス時代なんで俺は財布なんか持ち歩いているんだろ、薄いカード入れだけでいいじゃん」と、カード入れくらいだったら俺もエルメス買えるんじゃないと、デパートのブランド・フロアーをブラブラしてたら、僕が子供の頃はアルマーニで働いていたお姉さんたちのボーナスが立っていたなと言うことを思い出した。

1979年とか80年とか正確な年は覚えていないのだが、その頃はマヌカン・ブームで、ギャルソンで働いているお姉さんたちは自社のブランドの服を買わないといけないので、財布の中は火の車だったのだが、運良くアルマーニで働いていたお姉さんたちのボーナスはみんなから「横ちゃうで、縦でボーナス立つんやで」ということで、150万とかのボーナスをもらっていたらしい。正確に幾らだったかは聞いていない。僕は大阪の繁華街に行くと、そのお姉さんたちが、喫茶店からお昼、晩ご飯、居酒屋、ディスコ、帰りのタクシー代も出してくれてた。タクシー代に1万円もらって、次の日に「お釣りは」って言われても、「持ってくるの忘れた」と言っても怒られない時代だった。

なぜアルマーニがそんなことになったかというと、映画『サタディ・ナイト・フィーバー』のお陰だったのです。久々にこの映画のオープニングをみたら、今もかっこよくって、びっくりする。YouTubeで見られますが、ブルックリンの田舎(たぶん、ブルックリンだったと思う。今はオシャレ・エリア、当時はダサい街だったのです)を歩くジョン・トラボルタがかっこいい。

ビースティ・ボーイズの「ノー・スリープ・ティル・ブルックリン」の感じです。当時はオシャレな所なんてマンハッタンにしかないので、クラブとか遊びに言って、ブルックリンまで帰るの睡魔と戦いながら地獄みたいな思いをするわけです。僕の友達なんかもマンハッタンに住めず、ブルックリンとかクィーンズとかに住んでいて、あーこいつら成功していないなと思ってました。俺はNYに住んだらイースト・ヴィレッジに住むぞと思っていましたね。

 

 

 

ブロンディの「ユニオン・シティ・ブルース」なんかもそうですね。マンハッタンに住む女の子が、ニュージャージーの町工場に住む男に惚れてどうしようと歌ってだす。日本だとトンネルを抜けると雪国だったですけど、アメリカだと橋を渡るとニュージャージーだった。ブルース・スプリングスティーンもまさにそうです。NYパンクみたいにマンハッタンなんかに行かずとも自分の生まれ育ったニュージャージーのアズベリー・パークから成功してやるという目線が、当時で言う99%の人から愛されたわけです。

 

 

 

そんな笑われていたブルックリンが今はオシャレになるって、下剋上みたいで面白いですね。金融政策して、どんどんお金をばら撒けば、ブルックリンみたいな街もどんどん開発されて、みんなが住みたい街になるんです。

『サタディ・ナイト・フィーバー』のオープンニングに話を戻します。ジョン・トラボルタなぜ歩くかというのが、ペンキ屋で働いている彼が、お客様からお店にない色のペンキを注文されて、お客を逃したらいけないということで、近所の違うペンキ屋にその色のペンキを買いに行っているのです。急いで戻らないといけないのに、途中でオシャレな靴を見つけて、靴屋の親父に「キープしといて」などと寄り道しながら、お客を30分も待たせ、怒り狂うお客を口八丁でなだめるという。たった5分とかで、この主人公がどういう自分か一瞬に説明する素晴らしいシーンです。松田優作の『探偵物語』の演技なんかにもめっちゃくちゃ影響を与えています。どうしようもないけど、なんかかっこいい奴。そんな奴が着てたのが、売れる前のアルマーニの服なのです。この映画の衣装協力が売れる前のジョルジョ・アルマーニなのです。世界では売れてたかもしれませんが、僕は全く知りませんでした。

 

 

この映画時代が胡散臭いから、新進のデザイナーにしか頼めなかったのです。でも、この映画が爆発的に大ヒットして、日本で偶然アルマーニで働いたお姉さんのボーナスが立つくらいまでのヒットになったのです。世界中がディスコ・ブームになったのです。

この映画のプロデューサーは音楽を担当したビー・ジーズのマネジャーで、ビートルズのマネジャーのブライアン・エプスタインの会社NEMSエンタープライズに入社したロバート・スティグウッドです。ブライアン・エプスタインもそうですが、この頃は音楽よりも映画の方が儲かるということで、みんな映画に手をだしていくわけです。ビートルズが映画を撮っていたのもそういうことですし、ザ・フーが『トミー』を制作したのもそういうことです。で、そんな世界を見ていたのが、ビージーズのマネジャー、ブライアン・エプスタインの事務所で働いていたロバート・スティグウッドです。というわけで、彼がビー・ジーズを使って作って、なぜか世界では売れなかったのに、日本だけで売れた映画が『小さな恋のメロディ』です。

 

 

 

失敗したのに懲りないのが、ロバート・スティグウッドのいい所で、ビージーズを使ってなんとなく一部で盛り上がっていたディスコという音楽をビージーズに作らせ、大ヒットさせた映画が『サタディ・ナイト・フィーバー』なのです。

 

 

 

 

この映画の面白いところは、これは前に書いたかもしれませんが、この映画が全部嘘なのです。

 

 

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