「世界のロック記憶遺産100」の記事一覧
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【世界のロック記憶遺産100】 『フィジカル・グラフィティ』 ツェッペリンの失速は王様になってしまったことの弊害だったのです (久保健司)
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【世界のロック記憶遺産100】 ザ・ローリング・ストーンズ 『レット・イット・ブリード』 憧れの黒人ミュージシャンの「悪魔の音楽」 (久保憲司)
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【世界のロック記憶遺産100】グレイトフル・デッド『デッド・セット』 ・・・その電車の終着駅はないとみんな知っていたけど、乗るしかなかった (久保憲司)
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ニール・ヤング『アフター・ゴールド・ラッシュ』 ・・・グランジと呼ばれたポスト・パンクも切ないメロディと爆音ギターで歌いだした 【世界のロック記憶遺産100】
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【世界のロック記憶遺産100】 レナード・コーエン『Live at the Isle of Wight 1970』・・・あと10年彼が生きていたらノーベル文学賞(久保憲司)
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【世界のロック記憶遺産100】 ダムド『地獄に堕ちた野郎ども』 一番最初にツバを吐いたパンクは誰か? (久保憲司)
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【世界のロック記憶遺産100】 ザ・スミス 『ストレンジウェイズ・ヒア・ウィ・カム』 ・・・モリッシーが見つけた永遠。太陽のように光輝く最後の傑作アルバム (久保憲司)
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【世界のロック記憶遺産100】 ボブ・ディラン 『激しい雨』 ・・・ボブ・ディランは1970年代のNYのストリートで起こったロックの新しい変化を取り入れようとしていた (久保憲司)
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The cure “Three Imaginary Boys” ・・・37年の時が経ってしまったが、今もそのストイックで無垢なサウンドの新鮮さは失われていない 【ロック記憶遺産100】