松沢呉一のビバノン・ライフ

モスバーガー黒板騒動と韓国整形発言 -差別的表現再考 2 (松沢呉一) -3,476文字-

 

モスバーガーの「不適切」な黒板はレイシズムなのか? -差別的表現再考 1」の続きです。

 

 

モスのココロ―モスバーガーハートフルブック

 

 

長嶋一茂に叱られたコメントは「ヘイトスピーチ」か?

 

これもすでにタイミングを逸してしまってますが、vivanon_sentence前回取り上げたモスバーガー飯田橋店の背脂書き込みと同様、このケースも、せいぜい「場違いな発言」ということでしかないと思います。

 

 

長嶋一茂、韓国について「みんな同じ顔」と評したコメンテーターを叱る「今、謝んなさい」

2014年11月14日 17時51分

三流 14日放送の情報番組「モーニングバード」(テレビ朝日系)で、タレント・野球評論家の長嶋一茂が、コメンテーターを叱る一幕があった。

この日の番組は、韓国の大学受験事情を特集した。韓国には、受験生が受験票を提示すると、飲食店の料金や映画館・遊園地の入場料が安くなるサービスがあるという。

また、こういった割引が美容整形に適用される場合もあるそう。小松靖アナウンサーが「二重形成の手術費12万円が、5万円になる」と実例を挙げると、出演者はみな驚きを隠せなかった。

羽鳥慎一アナウンサーが「日本の整形っていう感覚とも違う。ちょっとオシャレしますくらいの感覚ですよね」とこぼすと、コメンテーターの飯田泰之氏は「だからみんな同じ顔になっちゃうんですよ」と楽しそうにコメントした。

すると、長嶋は「いや、同じ顔には、飯田くん、なってないよ。それは今、謝んなさい」と静かに飯田氏を叱った。

飯田氏が笑顔で「ごめんなさい」「よく、先生が同じだとね」とコメントすると、ほかの出演者も小さく笑った。

しかし、長嶋はまじめな口調で「親が、子どもに対する目のかけ方が違う」「お金とか関係なく、がんばっている人にどんどん出す」などと、韓国人の教育に対する姿勢を称賛した。

ライブドアニュース

 

 

乳の整形は否定的、顔の整形は肯定的な私ですけど、医者が同じではなくても、整形すると顔が似てくるのは避けられません。二重を一重にする人はあまりいないように、鼻を低くする人はあまりいないように、エラを張らせる人はあまりいないように、目指す方向はおおむね同じなので、似てくるのは当然。また、過剰な部分を削ることも王道なので、特性が消えて似てくる。

この番組でも指摘されているように、韓国では整形が盛んなこと、整形に対する考え方が違うことは事実であり、よって、韓国では似た顔が多いとしても間違いではない。

事実であればいつ何を言ってもいいってわけではなく、この文脈ではそのコメントは不適切だったのかもしれないことは理解できますが、これが「差別」だの、「ヘイトスピーチ」だのとされることには断固反対します。実際、そういった表現を使ってこの発言を批判していた人たちは少なくない。差別やヘイトスピーチを軽んじすぎではないか。

韓国では整形が多いわけではないのにそう言ったのであれば事実に反し、悪意があると推定できましょうけど、事実にもとづき、自身の印象を指摘しただけ。それを差別だとする論理がまったく理解できません。「最近の芸能人は整形が多くて、顔が似ている」という指摘をしていいように、整形がごくごく当たり前に行われる韓国人に対しても指摘していいんですよ。おかしな遠慮をする必要などない。

「中国」や「韓国」という国名とともに、批判的な言葉が出てくると、「ヘイトスピーチ」「レイシズム」と批判する、タチの悪い連想ゲームはやめた方がいい。そのうち、中国共産党や北朝鮮労働党の批判までを「ヘイトスピーチだ」「レイシズムだ」と言い出しかねない。これでは「中国」「韓国」という言葉を見るだけで自動的にヘイトを口にするようにプログラムされたネトウヨとたいして変わらない。

ヘイトスピーチ規制法を求める人たちがいるわけですが、だったら、この言葉まで罰金刑に処すのが正しいのか? 馬鹿馬鹿しい。

在特会のやっていることを表現する「ヘイトスピーチ」「レイシズム」という言葉があまりに安易に使用されつつあります。「ヘイトスピーチ」「レイシズム」という言葉を好んで皆が使用したのは、既存の文脈からひとたび切り離して、言葉を再定義したかったからだと思うのですが、大安売りが始まったために、結局グダグダになりつつあります。こういうことをしてっと、本当に問題にすべき発言が見えなくなります。

 

モスバーガーの黒板を「ヘイトスピーチ」「レイシズム」認定することによる弊害

 

vivanon_sentence飯田氏もモスバーガーも謝罪したわけですが、とくにモスバーガーの黒板の文字は、どういう理由であろうとも不適切とは言えますから、ここは素直に謝るのが企業としては最善ではありましょう。もしここで「不適切ではありますが、差別表現ではありません」と弁明したら、また糾弾欲の虜になった人たちが、いいネタを得たとしてさらに騒ぐでしょう。叩くこと、騒ぐことが目的化した人たちは、「そう言われればそうかもな」と立ち止まって考えることはしない。それができるんだったら、最初から立ち止まって考えてます。

しかし、ここで謝罪を獲得すると、叩きたい欲望にかられた人々は次のターゲットを探すことにもなる。こういうことに快感を抱く人たちもいるんだと思います。「いいことをした」と。なんもいいことはしていないと思うな。むしろ、いらんことをしています。

となると、当事者ではない人たちが、それをセーブしていくしかない。「おいおい、ちょっと考えようぜ」と。それをやらないとどういうことが今後起きてくるのか、容易に想像ができます。

 

 

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