松沢呉一のビバノン・ライフ

娼婦の無許可撮影を許したのは、この社会の「良識」だった [娼婦の無許可撮影を考える 3]松沢呉一-4,469文字-

カフェー女給と娼妓の写真に見るモラル・・・ 昭和の肖像権を検証する [娼婦の無許可撮影を考える 2 ]」の続きです。

 

 

 

なぜ盗撮写真家たちは痛みを感じることがなかったのか

 

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昭和28年には「東京温泉事件」があり、肖像権という言葉はともあれ、無断で写真を撮って公開したら訴えられかねないことはそこそこ知られていたはずです。それ以前にも、相手の事情を配慮する写真家たちがいたことの具体例も挙げてきました。

にもかかわらず、『危険な毒花』の常磐とよ子、『月蝕』の若林のぶゆきは隠し撮りをし、本にして発表をし、展覧会への抗議も無視し、それで微塵とも痛みを感じた様子がないのはなぜなのか。

「赤線の女たちを恐ろしい闇路へけおとしたのは誰か」に答えがあります。社会全体が赤線の女たちを葬ろうとしていたからです。そこで説明したように、売防法は売春をする女たちの人権の法律ではありません。売春をする女たちを蔑視する人々が推進し、社会秩序のために作られた法律であり、神近市子がはっきり自著で述べているように、その秩序に沿う生き方をする主婦たちのために、売春する女たちは犠牲になっていいという考え方に基いています。

私が言っても説得力がないかと思うので、売防法制定までに出された雑誌や書籍を丹念に読んでみてください。あるいは、「赤線の女たちを恐ろしい闇路へけおとしたのは誰か」の最後に引用した「女・エロス」の一文をもう一度読んでください。

「女・エロス」はリブの雑誌で、大学時代の私の愛読誌です(リアルタイムではなく、数年遅れてバックナンバーを読んでました)。あの時代のリブにはシンパシーがあるものですから。リブに教えられたことをその後も私は実践しているだけなんですけどね。

 

 

隠し撮りをバックアップした婦人議員やキリスト教団体

 

vivanon_sentence女・エロス」の主張は、売買春を否定し、家族制度にも批判を向けるというものだったかと思います。両者はコインの裏表であるというベーベル以来の主張を汲むものです。だからこそ、「主婦フェミニズム」からの批判も浴びてました。「母性保護論争」から現代まで形を変えて繰り返されるテーマです。

私はどっちも改善されるべき点がありつつ、個人が判断するものでしかないという考えです。「主婦をするも売春をするも似たようなものなのだから、好きにすればいいんじゃね?」ってことです。のちの自己決定権につながる考え方です。

その点は「女・エロス」とは180度違うとも言えるのですが、家族制、一夫一婦を保守する立場からの売買春否定、あるいはそれを補完する売買春肯定を批判する点は同じ。後者は「男が買春するのは男の解消。しかし、女は貞淑でなければならない」といった考え方です。それらはいずれも旧来の家父長制に則った価値観を強化するものでしかない。売防法はその考えによって作られた法律ですから、当然批判します。

まさに、そのような立場から、この社会は赤線の女たちを切り捨てました。主体になったのは神近市子を筆頭とする婦人議員、矯風会を筆頭とする宗教団体の女性たちです。もちろん、男性議員もまたこれに同調したのだし、伊藤秀吉のような男性キリスト教徒も関わっています。

さらには菅原通済のようなフィクサーも政界を動かす役割を果たしています。この菅原通斎は売春審議会の初代会長にもなっていますが、旧来の家父長制価値観のもとで、売防法制定に動いた人物です。芸者遊びをしまくった人ですから。性病が国を滅ぼすという考え方もこの人物の根底にあります。これは戦前の廃娼派の主張でもありましたが、遊廓や赤線が性病を伝播したのかどうかはまたいずれ論じるとしましょう。

IMG_1975大宅壮一のように新吉原女子保健組合の主張に耳を傾け、雑誌で座談会を開いたジャーナリストや彼女らの意見に賛同して論陣を張るメディア関係者も一部にはいましたが、「良識ある」とされるような多くの新聞や雑誌もまた売防法に加担していきます(大宅壮一による座談会は当時「東京新聞」が出していた「週刊東京」に掲載されています。私が所有しているこの号は表紙がボロボロなので、別の号の表紙を出しておきます。これに限らず、いい記事を多数出していた週刊誌です)。

社会全体が売防法に傾いていく中で、やがて売防法が制定され、昭和32年に一部施行され、自殺者を出しつつ、組合が解体していく時期に、常磐とよ子、若林のぶゆきは卑劣な撮影を実行していたのです。彼らをバックアップしていたのは婦人議員であり、キリスト教原理主義者たちであり、メディアであり、社会全体です。

 

 

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