アニメ・プロデューサーの発言はどこが性差別だったか-「歴史が苦手」問題-(松沢呉一)-4,341文字-
ふたつの問題点
すでに十分に批判され、謝罪も出たことなので、いまさらなのではありますが、遅ればせながら、アニメ・プロデューサーの差別発言を見ておきたいと思います。
これについてはハフィントン・ポストの以下の記事がわかりやすい。
もとの発言はそちらを見ていただくとして、問題は二点あります。
ひとつめは、「女はファンタジーに向かない」と言っているに等しい点。こんなん、「ル=グウィンやJ.K.ローリングは男かよ」と突っ込んでおしまい。実際、いっぱい突っ込まれています。つまりは「思い込みに過ぎず、なんの根拠もない」ということです。
あるいは「新潮文庫のドル箱は一体誰だと思っているんだ」という突っ込みでもいいでしょう。私もつい最近まで知らなかったのですが、現在、新潮文庫でもっとも売れている人は上橋菜穂子です。
『闇の女たち』が出た時に、Amazonの新潮文庫の売れ行き順位を見たら、上位は上橋菜穂子が独占。『闇の女たち』はもちろんのこと、その月の新刊だったタイトルはどれも上橋菜穂子に全然勝てない。
「誰だ、この人」と思って担当編集者に聞き、また、ネットで検索して、世界的な人気、評価を得ているファンタジー作家であることを知りました。それまで知らなかったのがお恥ずかしい。
上位独占だったのは、NHKが「精霊の守り人」をオンエアしていたためですけど、今も書店では著書が軒並み平積みにされています。
こういった事実を無視して、思い込みだけで語ったらダメでしょう。
ふたつめは、「女性監督を起用することはあるか」という質問に対する答えだったため、「女は起用しない」と言っているに等しい点。仮に「女はファンタジー向きではない」という傾向があったのだとしても、個人の能力ではなく、性別で判断するのはアウト。
このふたつの点で言い逃れしようのない性差別発言だとしていいかと思います。
どこまでが性差別発言になるか
ここまではいいとして、批判の中にちょっと気になることがありました。イギリスでも日本でも出ていたのですが、「男は〜」「女は〜」という言い方自体がNGという批判です。
そうか? 根拠がない思い込みで語るのはダメ、わずかな例を全体に敷衍するのはダメ、まして、それを個人の判断に落としこむのはダメですが、根拠のある「男は〜」「女は〜」という指摘自体は問題なしだと私は思っています。それを出すことによって差別が強まるような場合は配慮は必要とは言え。また、あくまで傾向なり、平均値なりの違いでしかないことを明記することが望ましいとは言え。
例えば「男の方が重いものを持てる」「男の方がパンチ力がある」「男の方が体が大きい」という傾向を指摘すること自体はなされていいでしょう。
さもないと、どうしてスポーツは男女別なんかって話になってしまいます。「今どき、男女の別がないスポーツは馬術くらいというのはどんなもんか。仮に女子が不利になったとしても、男女の別のない競技はもっとあっていいのではないか」と私は思っていますけど、「男と女の身体能力は違うのだ」と言われてしまうと「はい、そうですか」とうなだれるしかなく、「それは性差別だ」とは言わないし、言っても相手にされないでしょう。
とくにその差を改善しようとする場合、まずは事実を確認する必要があって、その指摘さえ否定されたら、改善もできなくなります。
女は歴史が不得意?
例えば「女は歴史が苦手」という指摘はどうでしょう。これはちょっと前から、私が考え続けていることであります。しかし、これも公言するには、わずかな印象で語るべきではなく、根拠が必要。
そこで、大学で歴史学を専攻していた若い知人に聞いてみたところ、「歴史をやっている人だったら、誰でも知ってますよ」とこともなげに言われてしまいました。なんだよ、もう知っていたのかよ。世界的な発見かと思っていたのに。
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