松沢呉一のビバノン・ライフ

演歌のすんごいところ—アイドルって面白い 5-(松沢呉一) -3,165文字-

アイドルのフィクション・チャルガのフィクション—アイドルって面白い 4」の続きです。

 

 

フィクションを成立させる条件

 

vivanon_sentence前回紹介したチャルガのフィクションを成立させているのは、「歌の世界は作り物」という合意です。フィクションをフィクションとして許容する姿勢がリスナーにあるのかどうか。

ヤネヴァが引続き、何食わぬ顔でテレビに出たら、「おまえはインドで結婚したんじゃないのか。騙された」と抗議が殺到するような社会だったら、こんなことはできない。

公序良俗派の新聞が「不倫を肯定するような表現はけしからん」とバッシングするような社会だったら、こんなことはできない。実際に、チャルガはブルガリアの公序良俗派から批判されているわけですけどね。ロシアほどではないにせよ、正教が強いですから。

「アジスはゲイであることを売りにしながら、本当はヘテロで、マリナとデキていたのか。仲間だと思っていたのに失望した」というゲイのファンがいっぱいいる社会ではこれはできない。

※図版はBiSH「オーケストラ」から

 

 

演歌のフィクション

 

vivanon_sentence日本でフィクション性の高いジャンルは演歌です。

よーく考えると、演歌ってすごいっすよね。

 

 

コミックソングでもないのに、このヒゲのおっさんが女心を歌っているんですよ。何がどうしてこうなった。このくらい乖離しているからフィクションが成立しやすいとも言えますが、そういうお約束が成立しているジャンルです。

小林明が「忍」や「渚」という名前でニューハーフ・クラブで働いていたと誤解されないから、「昔の名前で出ています」が歌えるのです。

 

 

フィクションに込められる真実

 

vivanon_sentenceしかし、なにぶんにも許容される範囲が狭い。普通のじいちゃん、ばあちゃん、おじちゃん、おばちゃんが主たるリスナーですから、そこで展開される「女心」は、「今時、どこにいるんだ、こんな女」といった古くさいものでしかなく、これまたすでにフィクションの領域と言っていい。

ここにおいては同性愛の曲までは許容されないでしょう。演歌の歌い手には同性愛者が少なくないと言われますけど、それはやっぱり出せない。歌のフィクションとしてもストレートには出せない。

でも、男が女心を歌っていることが許容されているジャンルだからこそ、「男への思いを歌う男」という真実もまた含まれていることがあり得ます。

 

 

ジッと待つ女心に自分を重ねていた三善英史が「バイセクシャル」であることをカミングアウトしたのは、この曲がヒットしてから実に30年以上も経ってからでした。その時にはすでに影響力があまりなくなっていて、私もそのことを知ったのは何年もあとのことでした。たしか張由紀夫君に教えられたはず。そんなことで騒がれなくて、よかったかもしれないですけどね。

 

 

フィクションをフィクションとして受け取れない人々

 

vivanon_sentenceこれと同じように、BiSHが「オーケストラ」を歌う時に、作詞家やBiSHのメンバーの中に、曲の心情を共有するのがいるかもしれない。いないかもしれないけれど、フィクションですから、そこにあるものをそのまま受け取ればいいだけ。

こういう曲が出てくると、「レズビアンでもないのに、こういう曲をやるのはマイノリティからの簒奪だ」と言い出すのがいるのですが、レズビアンでないのかどうかは本人たちしかわからんわけです。場合によっては本人もわからないってこともあります。

メンバーの話を聞いて、その体験を作詞家が作詞したのかもしれないのだし。もしそうだったとして、それをいちいち公開しなければいかんのか。

完全なフィクションとして作られた曲のはずなのに、そこに自分を重ねて歌っているメンバーがいるかもしれない。他のメンバーは気づいていないとしても。

こういう曲を歌う人間は、つねに自分の性行動を公開しなければならないなんてことはない。

不倫の歌を歌う人は不倫した過去を晒し、失恋の歌を歌う人は失恋した過去を晒し、女心を歌う男の演歌歌手は女装したことがあることを晒さなきゃならないなんてことはない。三善英史がセクシュアリティを伏せて、自分に重ねて女心を歌い続けたかもしれないことは非難されるべきでもない。私がMAN HUNTのTシャツを着てスーパーに買い物に行くことも非難されるべきでもない。

 

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