松沢呉一のビバノン・ライフ

震災に乗じて新婚旅行をした可能性—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 追加篇 2-(松沢呉一) -3,140文字-

関東大震災で東京を脱出した細井和喜蔵ととしをの奇妙なコース-高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 追加篇 1」の続きです。

 

 

 

乗車賃がいらないのをいいことに新婚旅行?

 

vivanon_sentence前回書いたとしをと和喜蔵の不可解な行動を解釈するヒントはとしをが書いてました。

 

一年間の恋人時代も、結婚してからも、二人で歩いたりあそびに行ったことがなかったので、思えば震災のおかげで私も里帰りできたのです。あの時が私たちの新婚旅行だったと思います。

 

これは岐阜での生活を指しているのですが、その前に二人は新婚旅行を兼ねて直江津に行ったのだと思います。新婚旅行だと意識していたわけではないにせよ、この機会に日本海でも見てこようかと考えたのはおかしなことではない。

震災の大混乱の中で運賃はどうしたのだろうと思ったのですが、これも『大正震災記』に出てました。

 

鉄道省は、罹災者救助の方針によって すべて無賃で乗車せしめた。

 

おそらく田端駅で罹災証明を発行し、罹災証明を持っていればどこまでも行けたのだと思います。宿代はかかるにしても、交通費をかけずに新婚旅行ができます。

亀戸のアパートは崩壊しておらず、地震の翌日にはアパートに二人は戻って米を炊いてますから、金は持ち出しているはず。それでも先々の不安もあり、旅館に泊まるほどの余裕はなく、駅舎で寝泊まりしたのかもしれないですが、おそらく各地の駅もそれに対応していたでしょう。

他の可能性もゼロではない。同様のコースで東海地方や西日本に移動した人たちは多いはずです。長野から名古屋への列車も混み合うことが予想できて、当時の始発駅の直江津まで行った可能性もありますが、この路線も新潟、山形、秋田方面に向う人で混み合っていたでしょうから、椅子を確保するためにわざわざ混み合った列車に県を越えて乗り続けることは考えにくい。五分十分のことならいざ知らず、減速運転をしていて、片道三時間くらいかかったはずです。

往復六時間かけるんだったら、少しでも名古屋に近づく方向で考えるんじゃなかろうか。しかし、旅行気分であれば、これも少しは楽しい。

※写真は崩壊した横浜のトンネル

 

 

としをが望む自己イメージ

 

vivanon_sentenceもちろん、以上は私の推測でしかありません。

私には想像しにくいなんらかの事情があるのかもしれないですけど、「震災に乗じて日本海まで旅行をした」というのがもっともあり得そうに思います。

一泊二泊直江津で過ごしたっていいでしょう。温泉で羽を伸ばしてもいいでしょう。震災によって、またこの列車の移動で心身ともに疲労困憊していたでしょうし、東京はまだ暑く、電車の中も蒸し風呂状態だったでしょうから、体を休めたい。

しかし、としをはここでも正直なことを言わずにごまかしをしたのではなかろうか。

現実とは少し違いながら、としをが望む「極貧の中で『女工哀史』を書き上げ、命を賭けて世に問うた細井和喜蔵と、収入のない夫の生活を懸命になって支えたとしを」という物語にとって、震災で人の命や財産が失われる中、乗車賃がいらないのをいいことに日本海まで旅行をしたとあっては印象が悪く、身の危険を感じて岐阜の実家に逃げたことが新婚旅行みたいなものだったとした方が清廉なイメージを保てると考えたのでありましょうか。

だったら、長野で一泊したことにすればいいのに、どうして中途半端に、直江津まで行ったことまで語るんですかね。そこまで語るなら正直な事情も語ればいい。

ここまで書いてきたさまざまと同様、これも計算の元で辻褄合わせができにくい聞き語りの本だからだと思います。噓をついてもボロボロと粗が出る。

※首が落ちた上野大仏。この崩落以降再建されず、現在は顔面しか残っていない。

 

 

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