松沢呉一のビバノン・ライフ

既婚者の不品行に寛大なフランス社会—女言葉の一世紀 102-(松沢呉一) -3,403文字-

男女の交際をどうとらえるか—女言葉の一世紀 101」の続きです。

 

 

 

性欲を認めるべしと語る教育者

 

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扇谷亮著『娘問題』(明治四五年)には三輪田元道という人物が出ています。本には肩書きがなにもないのですが、三輪田真佐子の養子で、昭和に入って三輪田女学校の校長になっています。

 

 

近頃新聞に好く見へる堕落学生と云ふものに対する女生徒の警戒ですか。それは女性自身で修養するやうに教へるが最上の道と思ふ。(略)世界で最も淫靡な国は仏蘭西だ。此の国は淫靡である為めに国が富むと云はれて居る程である。其仏国でさへ若い女性には監督が付く。そして出来る丈危険な所へは近寄らせぬ方針を取って居る。併し、是は之れまで取って来た女子教育の方針で、此の日に月に進んで行く時勢には適しない。見玉へ、我が国でも現今ではやれ園遊会の劇場のと男女の相近づく機会が多く、電車汽車では更に近づく機会が多いと云ふ風になって居る。加之(おまけ)に新聞雑誌等の読物には性欲を衝動するやうなのが幾らもある。だから、女それ自身が如何に誘惑に遠ざからうとしても社会が既に爾(そ)う云ふ風であるから、之れ迄の様な外部的の警戒は頼むに足らない。危険なところに行かぬから堕落せぬと云ふは水の淵に近よらぬから死ななかったと云ふに同じである。(略)

又教育家も父兄も頭からに抑へ付けると云ふ事をするも宜しくない。新聞を見ても男女の性欲から生じた記事が大部分である。社会に此の大事実の在る事を忘れる事は絶対できない。此事を知らぬ振りして教へるから人智の進んだ今のものは事実を如何せん抔(など)と疑惑の精神を抱くやうになる。又人情を閑却した乾燥無味なる修身は聞くものに何等の感化をも与へないのである。

 

 

前回書いた分類で、3です。もはや誘惑から遠ざけることは不可能であることを前提にしています。

性欲がないことにはできない。それを認めた上で、自身で律するようにするのが教育という考えであり、その上本人では対処できないことについては、親や教師が出ていくのがいいということから、その実例をこのあと挙げています。

これは前回見た東京女医学校創設者のような旧世代の教育者を批判する内容になっています。

※三輪田元道著『家庭の研究』(明治四一年)より著者近影

 

 

良妻賢母を批判する三輪田元道

 

vivanon_sentenceこの人に興味を抱いて、三輪田元道著『家庭の研究』(明治四一年)を読み始めました。タイトル通り、家庭、家族について論じた内容です。まだ全部は読めていないのですが、やはり狭義の良妻賢母に懐疑的な考えを持っていたようです。三輪田女学校は良妻賢母を旨とする学校のはずなんですけどね。

 

 

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