松沢呉一のビバノン・ライフ

巌谷小波による婦人の社会進出肯定論—女言葉の一世紀 103-(松沢呉一) -3,394文字-

既婚者の不品行に寛大なフランス社会—女言葉の一世紀 102」の続きです。

 

 

 

良妻賢母を一世紀遅れているとする巌谷小波

 

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前々回、女学生の堕落をどう防ぐのかの考えを四種に分類しました。

社会進出については以下になりましょう。

 

1)例外を除いて女は社会進出すべきではない

2)嫁入りまでの一定期間は容認すべき

3)独身であろうと、既婚であろうと、女は仕事をしていい

 

そのような質問をされていないため、そう考えていたとしても語らなかった人がいるでしょうが、扇谷亮著『娘問題』(明治四五年)にははっきり3と答えていた人はいなかったと思います。

それに近いのは前回名前が出てきた巌谷小波であり、新しい思想の登場を歓迎しており、既婚者でも家に引っ込むことを強く批判。

 

 

又日本で娘とか処女とかいふおぼこで内気で含羞んだ人の前では恥かしくて碌に口を聞けぬものとなって居た、其れが今では女子教育が盛んになって娘は自由に解放され、娘向きの雑誌まで頻りに売れる。少女の集まりは寧ろ男子の集合よりも盛になった会などでも男子よりも却て娘の方が無遠慮に話懸ける。余興などでも進んで隠し芸をやる。之は永年抑へられた反動で頓に活気を呈して来たのです。之は年老いた先生方から見れば甚だ片腹痛い事でせう。又十五年二十年前の娘であった母親とか、況(ま)してやお婆さんなどから見たら果たして物が言へぬでせう。併し現時の娘から見れば又却て其人々が馬鹿に見える。今の娘は手紙の遣取りをする口語の文体が行はれてから思想の発表が自由になり思い切ったことがいへる。(略)

或る女学校の会で古い頭の女教育家が教訓的の話をした。同時に或る文学士が現代の思潮を話した。其時女学生は前者に対しては「陳腐だわね」といって嘲り、後者には「大いに現代的だわね」といって謹聴した。今の時代は嫁姑の反目がある様に、一方には娘の階級と母の階級の間で新旧思想が衝突して居る。私は重(おも)に地方の教育者側の人と生徒側の思想は少なくとも一世紀は違う。近頃文部省や旧い思想の人には娘の此の傾向を頻りに圧迫しやうと力めるらしいが、之は考へ物である。成程之には多少の弊はあらうが、真の文明を作るには無闇に圧迫することをせずに寧ろ此潮淵を積極的に利用した方が好い。夫れには親なり先生なりが娘に近寄り、現代の空気に触れて好く娘を研究すると共に同情を以て近代の娘の要求を究めるが好い。小言を言うも夫れからである。一世紀も遅れた頭脳で現代の娘に対するから却って娘の方から馬鹿にされるのである。

 

 

いいこと言いますね。ここまで見てきたように、新旧の思想の狭間で戸惑う女学生たちの肩を持つ内容であり、はっきりと良妻賢母を批判しているのではないですが、実質、そういう内容です。

この文章の冒頭に、自身がドイツにいた時の話を書いており、その当時はドイツでも男尊女卑の考えが強かったのが、その後、女子教育に力を入れた結果、「今まで地味で陰気で且つ控(ひかえ)目であった独逸婦人は俄かに突飛なものと変化」したというエピソードを紹介しています。つまり、日本婦人も突飛なものになれと言っているわけです。

巌谷小波は児童文学家として知られますが、雑誌にもよく寄稿しており、児童文学者のソフトなイメージとは違う硬派の内容を書いていた印象が強いため、これを読んで意外な思いがありました。

こんなリベラルな人だったかなと疑問を抱き、巌谷小波の著書を読んで納得しました。なるほど、こういう論理か。リベラルなのではありませんでした。

以下、巌谷小波が何をどう考えて、新思潮を肯定し、良妻賢母を否定していたのかを説明していきますが、長いです。次回まで続きます。

※『巌谷小波名話集』(昭和一四年)より

 

 

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