松沢呉一のビバノン・ライフ

翼賛婦人運動に継承された巌谷小波の思想—女言葉の一世紀 104-(松沢呉一) -3,590文字-

巌谷小波による婦人の社会進出肯定論—女言葉の一世紀 103」の続きです。

 

 

 

新日本建設のための婦人改造論

 

vivanon_sentence巌谷小波の主張は、『家と女』(明治三九)の冒頭によく表現されています。長いですけど、重要な内容になのでご容赦いただきたい。

 

茲(ここ)に新日本と云ふのは、彼の維新開国以来、封建は打破せられて、憲政は成立し、男は帯刀を棄てて、洋杖を突き、女は前垂の代りに、海老茶の袴を穿く、この今日の有様を云ふのではない。

否、余を以て云はしむれば、今日の日本の有様は、畢竟新日本の準備時代で、真の新日本なるものは、寧ろ今日以後に来るのである。今日以後とは、取りも直さず、此度の日露の戦争以後を云ふのだ。

(略)

さて、この前後三回の外征が、日本の社会に何程の影響を及ぼしたかと云ふに、なかなか一言では云へないが、兎に角王政維新に依って、初めて日本の日本たる事の、世界各国に知られた我が邦は、彼の廿七八年北清の役に依って、漸く東洋の日本たる事を認められた。

(略)

さればこそ我邦は、増々奮って大々的活動を為し、只に韓清の信類に安んぜず、進んで欧米諸国の尊敬を買う事も、必ずしも難くは無いのである。が、只茲に気遣はしいのは、その折角買ひ得た彼等の尊敬を、永く保持し得るや否?—これが更に大切な所である。

(略)

さてその未来の国民、即ち少年子弟なる者に、この大任の来たらんとするを知らしめ、また、この大任に堪え得るの力を与へるのは、抑も誰の任であらう? 余を以て云はしむれば、現今の日本婦人即ち是だ。

(略)

余は更に云はんとする。元来社会の改良なねものも、之を男子に俟つよりは、寧ろ婦人に求むべきのり、遥かに適当であることを。然るに現今の日本婦人なるもの、社会改良の木鐸として、果たして活動して居るであらうか。

成る程我邦の女子教育は近年非常に勃興し、所謂る海老茶式部になるものの、至る所に裳(もすそ)を翻へす事、実に盛んなりと云(いつ)つべしだ。

が、此等の多くは、他日こそ良妻ともなり、賢母とも成って、文明国の婦人たる本分せを、必ず尽し得もすれ、目下の所では、矢張り教育者の地位に在って、まだ社会の木鐸たるに足らない。

(略)

然るに今の婦人の有様を見るに、その何万分の一ほどかは、成る程此の任にも堪へ得るであらう。然しその大多数は、その足の内輪なるが如く、気質も内輪に、その背の猫背なるが如く、根性も卑屈に、活発な進取の気象、毅然たる独立の精神は、生憎之を求むべくも無い。

(略)

さればと云って、余は今日の日本婦人に向って、直ちに社交的活動を初(ママ)めよとは、必ずしも願ひはせぬ。

また、目下軍国多事の折から、家庭を棄てて、看護婦に出でよ、髪結銭を挙げて、恤兵費に出せよ、雑巾を刺す手間で、包帯を巻き賜へ、などとも決して勧めぬのである。

只此際の覚悟としては、活発なる進取の気象と、毅然たる独立の精神とを、今日の日本婦人、即ち一種の国民教育者、社会改良者としての諸姉に、切に望む他は無い。

かくして日本婦人なる者が、よく男子に譲らぬ迄の、天晴元気を現はすならば、それこそ帝国万々歳、わが大日本は、初めて円満なる進歩と、完全なる発達を為し得るのであらう。

 

 

※巌谷小波著『お伽パラダイス』(大正元年)

 

 

next_vivanon

(残り 2347文字/全文: 3729文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ