松沢呉一のビバノン・ライフ

湯原元一・東京音楽大学校長の先進的意見—女言葉の一世紀 105-(松沢呉一) -3,512文字-

翼賛婦人運動に継承された巌谷小波の思想—女言葉の一世紀 104」の続きです。

 

 

 

昔の女はプライドがなかったが、今の娘は…

 

vivanon_sentence扇谷亮著『娘問題(明治四五年)に出ている中で、新思潮に肯定的な女性に、二宮貞子という人物がいます。彼女はどういう経緯か、米国のハイスクールを出て、名門女子大であるスミス大学を卒業しており、帰国して間もなくのインタビューのようです。

 

 

問題に就て諸氏の御高説が出て居まして大変有益に承はります。然し、其の中で、今の娘はお転婆になって大変悪くなったと云ふやうな節も御座いましたが、お転婆とは如何云ふ意味で申すのか、其解釈が妾共には一寸解り兼ねます。能く世人が女は学問をすればお転婆になるとか生意気になるとか申しますが、之は甚だ通じないことだと思ひます。一体大体の婦人は高等教育を受ければ受ける程益々へり下って来るべきものであって、決して之れが為めに高慢になったり、高ぶったりする者はありません。(略)若し婦人が高等教育を受け、為めに高慢な人になったとすれば、其の人は譬へ教育を受けないとしても矢張り高慢になったでしょう。かう云ふ間違った考へを以って今の教育を罵る人は誠に人生の真理を呪ふものと申さねばなりません。

それから今の娘達が虚栄心が盛んになったと云ふ事、これは社会の影響でありまして、今日の如く物質的に社会が発達して贅沢になって来た結果は、全世界の人が皆凡て虚栄心が強くなったので御座います。日本の娘丈けが特別に虚栄心が強くなったのではありません。殊に虚栄心が高等教育の結果の様に云ふ人のあるのは甚だ遺憾で御座います。(略)

又昔の娘は良かったが、今の娘は悪くなったと申しますが、これもさう一様には申されますまい。或点から申せば、却って今の娘の方がどれ丈け良くなって居るか知れません。昔の娘は多くは自重心と云ふものがありません。只おとなしく犠牲になるのを甘んじて居ました。尤も犠牲の精神は立派なものには違ひありませんが、自己と云ふものを始めから認めぬ極端な犠牲的精神は大いに卑しむべきものです。今の娘は昔よりも進歩して自重心が盛んですし、又自己と云ふものに就いて真に自覚して居ります。尤も今の娘にも悪い点が無いとは申しませんが、然し夫れは多くは時勢の罪です。現代の文明の空気を吸って居る者はどうしても善悪共にその影響を受けぬ訳にはまゐりません。娘其者をのみ責めるのは大いに戒しむべき事と思ひます。寧ろ教育者に責任があると思ひます。

 

 

「問題に就て諸氏の御高説」というのは、新聞で連載されていた『娘問題』掲載の意見の数々を指します。

自重心」というのがわかりにくいですが、「調子に乗ってないで、少しは自重しろ」という時の「自重」は以下の2の意味。ここでは1の意味かと思います。

 

 

これまでの日本女性はプライドがなかったのだと。あるいは自立心がなかったのだと。

この人のことが気になったので、国会図書館で二宮貞子を検索したのですが、この本しかひっかからず、これ以降、目立つ業績、記録を残していないようです。日本に失望をして、米国に戻ったんですかね。

なお、本書の最後はこの人のインタビューでありまして、たまたまかもしれないけれど、記者はこの方向を支持していたのかもしれない。

※この写真は二宮貞子とは関係なく、三楽流子ほか著『女盛衰記 女優の巻』(大正八年)よりセーラー服の女優。怖いわ。誰かと思ったら脇毛女優の河合澄子です。これは写真の修正なり印刷なりが悪いのだと思います。まだ女学校の制服になっていない時代なので、これはコスプレではなく、最新のファッションです。輸入ものの服だったりするのかもしれない。セーラー服が世界を席巻していたことについてはこのあと見ていきます。

 

 

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