松沢呉一のビバノン・ライフ

アバウトにすることで維持される人間関係—KaoRiとアラーキーの件から考えたこと(8)-(松沢呉一)-3,119文字-

ミネラルウォーターの銘柄も間違えられない契約—KaoRiとアラーキーの件から考えたこと(7)」の続きです。

 

 

 

 

契約書なんてありえない表現

 

vivanon_sentenceここまで見てきたように、契約が必要なケースは「権利関係や法律が複雑で、不確定要素が多いため、契約書がないとトラブルに対応できない」「関わる人間が多く、人間関係では解決ができない」「動く金額が大きくて、責任所在を明らかにしておかないと損害が大き過ぎる」といった場合です。

そうじゃなければ契約書は不要で、トラブっても法律に則るか、人間関係で処理をすればいい。写真表現に限らず、だいたいこういう法則に従って、契約書が交わされたり、交わされなかったりします。

契約や金銭、法律で決め込む世界に対して、人間関係で支えられていて、信頼だの情熱だの愛情だの友情だのノリだの義理だので、細かいことはすっ飛ばしていい世界があります。そう簡単には分類できないですが、前者を「ビジネスベース」、後者を「人間関係ベース」と仮に呼んでおくとして、人間関係ベースでやっていることをビジネスベースで断罪されると大変困ったことになります。

たとえば「鴎友学園出身者からのメール」に出てきたユリカモメさんのメールはノーギャラです。こちらから依頼したら知り合いでもギャラを払うのが筋ですが、あれはあちらから送ってきたメールを転載させてもらったものです。

それでも長いメールをほとんど使ってますから、「今度会った時にでもおごる」という話はしてますが、その時に彼女がどこかしらから中途半端な知識を仕入れてきて、「マガジンハウスだったらあれで5万円はもらえるらしい」「松沢は契約書もなしに私の文章を使った」などと言い出したら、縁を切ります。

それで済んでいるのは頼んで書いてもらったわけではないということと、私と彼女の関係があってのことです。人間関係はいろいろ。そこに第三者は踏み込みにくい。こう書くと、なにやら思わせぶりですが、人に言えない関係があるわけではないです。たぶん彼女とは10回も会ってません。その程度の関係でも、そこにどういう思いがあるのか、第三者が勝手に決めつけることはできないってことです。

※読んでないですけど、『正しいコピペのすすめ』というタイトルは共感できます。著作権について知ることは、正しく他者の著作物を使えるようになるってことでもあります。引用の範囲でやればいい。あるいはパブリックドメインのものを使えばいいってことです。

 

 

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