松沢呉一のビバノン・ライフ

撮影料10万円がタダになる不思議—KaoRiとアラーキーの件から考えたこと(9)-(松沢呉一)-3,034文字-

アバウトにすることで維持される人間関係—KaoRiとアラーキーの件から考えたこと(8)」の続きです。

 

 

 

いきなりタダになる

 

vivanon_sentence先日、カメラマンとダベっていた時に、劇団から頼まれて、無料で引き受けたという話が出てきました。おかしな話ですよね。個人依頼のポートレートだったら5万円から、雑誌のグラビアだったら10万円から、企業の広告だったら30万円からといった基準で仕事をしているのに(実際にいくらかは知りません)、劇団だと途端に無料になる。

劇団は最初からタダという話を持ち込んだのではなくて、ギャラを提示して依頼してきたのに対して(これもいくらだったか知りません)、カメラマンは「金はいらないから、好きに撮らせてよ」と提案して合意したそうです。頼まれ仕事から、「作品撮り」にスライドさせたわけです。わかりやすい言い方をすると、仕事から趣味にしました。

劇団としてもポスターやフライヤー、宣材用写真をタダでゲットできて「ラッキー」という話なのだけれど、この場合は劇団や団員から、写真内容に文句をつけにくい。この条件で合意した段階で、文句をつける気もなくなる。

話を持ちかけたのは劇団であっても、この撮影主体はカメラマンです。ここで支配しているのは金ではなく、互いに「面白いことをやりたい」という意思であり、その盛り上がりでの撮影です。その方が共同作業が楽しい。

しかし、その分、劇団としてはポスター用にカラー写真でいきたくてもカメラマンが「すべてモノクロで」と言えば従うしかない。その意向は取り入れるとしても、すでに劇団の宣伝用の写真ではないわけですから、決定権はカメラマンです。

こうなると、カメラマンが女優に「半乳出してよ」と言えば断りにくい。劇団側が依頼主だったら、力関係で「できません」と言えますし、カメラマンが主体の撮影であっても断っていいわけですが、言いにくくなる傾向はあるでしょう。

また、ここでは劇団員としての被写体ではなく、個人としての被写体となって、ノリで自ら半乳を出すのがいるかもしれない。ここではその是非は別として、そういう作用が働き得るってことを確認しておきます。

現実には彼は「半乳出してよ」とまで要求してないでしょうけど、金をもらっていたら妥協するところでも、妥協しなくていい。さもなければタダでやる意味がない。

 

 

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