松沢呉一のビバノン・ライフ

KaoRiが求めたのは作品の否定ではない—KaoRiとアラーキーの件から考えたこと(15)-(松沢呉一)-3,638文字-

終りの共有—KaoRiとアラーキーの件から考えたこと(14)」の続きです。

 

 

 

彼女はそれを望んでいたのではない

 

vivanon_sentenceストーカーに悩まされたって話にしても、もしビジネスベースになっていたら、撮影者にその解決を求めることはないだろうと思います。

たとえばドラマの役柄でイメージがついて仕事が減った役者がいたとして、そのことをテレビ局や演出家のせいにすることは考えにくい。ストーカーにまとわりつかれても同じです。この対策は事務所が担当することです。

KaoRiは契約書を象徴とするビジネスベースであることを求めているように読める一方で、感情ベースの解決をも求めていて、そこが渾然としていますが、真意は後者でしょう。

こうなってしまったことの悔いや恨みとして「契約書があればよかった」と彼女が言うのは正しいのですが、本来彼女が望んでいたのはその方向ではなく、彼女が理想と考えていた感情領域での関係の持続だったのだから、「ちゃんとケアをして欲しかった」「きれいに終わらせたかった」ってことでしょう。

 

 

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