松沢呉一のビバノン・ライフ

公共の場での全裸—裸の文脈(2)-(松沢呉一)-2,725文字-

脳内海外を信奉する人々—裸の文脈(1)」の続きです。

注意とお願いです。自分の頭にある海外(日本的道徳によって捏造された海外)を信じたまま死んでいきたい人たちは見ないようにしてください。そんなお願いをしなくても、探究心も好奇心もなく、ただもう自分の脳内道徳だけで生きていきたい人たちですから、間違っても「ビバノン」なんて読まないでしょうけどね。

 

 

全裸で美術鑑賞

 

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まずは最近の報道を見ていただきましょう。

 


2018年5月12日付CNN Travel「Paris museum opens its doors to nudists」

 

 

パリの美術館で、ヌーディストに全裸で美術鑑賞をさせたって話題です。美術館の話題作りのようでもありますが、だとしてもこれが可能になるのがヨーロッパ。ヌーディズム、ナチュリズムの歴史も浸透具合も理解されていない日本ではワケがわからんかも。

ワケがわからないなら黙っていればいいのに、もし日本でこんなことをやったら、「海外ではこんなことはありえない」と騒ぐ人たちが湧いてきそうです。裸というだけで頭をエロでいっぱいにする変質者たちです。わざわざゾーニングされたところに入り込んで、「公然わいせつだ」「風営法違反だ」「最低賃金を払っていない」などと騒いだ「おっぱい募金」に反対した変質者たちを思い出しましょう。

まずはヌーディズム、ナチュリズムとはなんなのかから勉強した方がいいと思うぞ。「ビバノン」を読めばいいだけ。調べることができない人たちですから、そんな難しいことを求めるのは無理ですけど。ヌーディズム文脈とはまた違いますが、米国のキッシングブースも知っておきましょう。「おっぱい募金」と限りなく近いことをやっています。「海外ではこんなことは許されない」と文句つけてこいよ。

そんな背景はわからなくても、裸の絵や彫刻を美として展示しているのですから、観る側だって裸でいいと理解できますわね。

でも、日本では法律上難しいかも。ヌーディズム、ナチュリズム自体、実践が難しい。参加できるのが不特定多数だとアウトです。特定の人たちだとしても、多数だとアウト。裸はそれ自体猥褻と見なされる国ですから。特定少数の人たちがやる分にはいいとして。

日本におけるヌーディズムは銭湯や温泉ですけど、混浴については明治以降、法律または条例で禁止されていて、黙認されている温泉が辛うじて残っているだけです。

つまり、わいせつ物頒布だけでなく、公然わいせつについても、「日本は海外(この場合は欧米と言った方がいいでしょう)と違う」のです。どこがどうそれらの国と違うのか正確に理解しておいた方がいい。そういった最低限の作業もやらない怠け者だから、脳内海外を持ち出して恥をかく。自分の脳内にある海外は現実の海外と無関係であることに早く気づきましょう。

 

 

公道に溢れる全裸

 

vivanon_sentence3年前のものですが、スイス政府がサポートしたこのフェスティバルも素晴らしい。

 

 

 

舞踏っぽい動きが見られます。日本では「ツン」と言われる布をつけますが(「ツンパ」を縮めたものだと土方巽か誰かが書いてました)、あれは全裸でやるのが理想でしょう。でも、チンコやキンタマ袋がブラブラするのは邪魔か。

こちらはアート文脈ですが、ヌーディズム、ナチュリズムの文脈で考えても受け入れられます。

この場所は通常の生活が営まれている路上や広場です。そこが裸だらけ。少なくとも数十という単位のチンコマンコが見えます。銭湯だとビラビラや裏筋、肛門までは見えないですが、ここでは見えます。

車両は制限しているかもしれないですが、事情を知らない人たちがこのエリアに入れないようにしているわけではなさそうで、自転車が横を走ってますし、子どもの姿も見えます。YouTubeでは18禁になってますが、これは世界対象のYouTube上の基準です。

日本人の変質者どもがここにいなくてよかったですよ。「海外では許されません」「子どもが見たらどうするのか」と騒ぎ出しますから。

 

 

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