松沢呉一のビバノン・ライフ

山田わかは今も生き続けている—女言葉の一世紀 132-(松沢呉一) -3,753文字-

山田わかは時代を先取りする婦人運動家であった—女言葉の一世紀 130」の続きです。

 

 

 

結局そこに行きつく

 

vivanon_sentence結局、この国では個人主義が根づかない。山田わかがエレン・ケイを良妻賢母主義の出来損ないの思想に貶めてしまったことが如実に物語ります。日本ではそうするしか受け入れられないのです。

スウェーデンの教育と自己決定—裸の文脈(7)(最終回)」に出した『スウェーデンののびのび教育』ではスウェーデンの教育改革は1960年代に始まったとしていますが、個人主義はもともとあって、それに沿って教育を改革していったということでしょう。

そのはるか前の時代にスウェーデンで生まれ育ったエレン・ケイも個人主義の人であって、だから、個人の上に理想を置くような考え方を批判していたわけです。国家の理想であれ、宗教の理想であれ、社会の理想であれ。それらは結果ついてくるものであり、まずは個人の幸福をエレン・ケイは求めました。

それを愛国主義を掲げ、個人主義を徹底的に嫌った山田わかに利用されてしまいました。たしかにエレン・ケイは英米の女権運動に批判的でしたが、だからといって山田わかのような考え方を支持するとは思えません。

しかし、これはこと山田わかという特殊な個人の問題ではありません。その根幹にある個人主義を理解しないまま、表面だけを借りて集団主義の文脈に拝借している例は少なくないのです。

平塚らいてうによる冷淡極まりない伊藤野枝の追悼文を思い出していただきたい。結局のところ、平塚らいてうも個人主義を受け入れられず、思想的には母性を守ろうとした凡庸な日本的婦人運動家に過ぎませんでした。

「海外では〜」と言いたがる人たちも同じ。まずは表現の自由は確保した上で、見たくない人の権利をどう守るかを考えてきた国を都合よく利用するな。

※逮捕されてハンガーストライキをするサフラジェットに無理矢理スープを流し込むところ。婦人参政権反対派はこの様子もまた揶揄の素材としてました(下の図版)。Pinterestより

 

 

スウェーデンの産児制限運動の結実

 

vivanon_sentenceスウェーデンののびのび教育』によると、スウェーデンでは母性保護、そして離婚の自由は相当まで実現されているようです。離婚をすると、政府が養育費を保証。その養育費は元夫から保険事務所が徴収するのですが、収入が少なくてそれを支払えない場合は政府が補填した上で支給する。収入が多く、多額の養育費が払える場合は保健事務所が徴収して、そのまま元妻に渡ります。間に政府を挟むことで最低保証がなされ、支払いが滞ることも避けられます。

著者自身、離婚をしていて、二人の子どもを育てながら大学に通うのですが、これもさまざまな補助金によって実現をしていて、おそらく未婚であっても子どもを育てながら大学で学ぶことは可能でしょう。つまり、大学生が出産したり、離婚したりしても学業が続けられるくらいの社会保障がありそうです。その分、税金がバカ高いわけですけど。

エレン・ケイが求めたのはこの状態であって、山田わかが主張するように、夫に依存して、夫に束縛される状態じゃないでしょう。

スウェーデンでは、性教育が徹底していることが知られますが、自治体によっては15歳以上の未成年にはピルが無料配布されていたり、格安で販売されていたり(この場合でもアフターピルは無料)。以前見たように、夏至祭では、政府がコンドームを用意するように呼び掛けています

それに比して、日本はどうでしょう。女が避妊の知恵と技術を身につけることを嫌悪ととも否定した山田わかの主張はいまなお至るところで生きているのです。

スウェーデンでは15歳になるとセックスも相当におおっぴらで、相手のうちに泊まりに行くのも両親が公認することが多いそうですが、「セックスは好きな人とするもの」という道徳はなお強いとのことです。好きかどうかなんてどうでもよくて、それも自己決定でいいと思うのですが、「霊肉一致」はなお生きているわけです。しかし、スウェーデンの霊肉一致は、良妻賢母と合体させた山田わかのそれとは違います。

※「1900s Posters Against Women’s Right To Vote Are Infuriatingly Anti-Feminism

 

 

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