松沢呉一のビバノン・ライフ

自分の意思で売春する女を潰すことが売防法の目的—伊藤野枝と神近市子[3]-[ビバノン循環湯 417] (松沢呉一) -4,432文字-

わが愛わが闘い—伊藤野枝と神近市子[2]」の続きです。

 

 

 

 風紀の乱れが許せなかった神近市子

 

vivanon_sentence前回、『神近市子自伝/わが愛わが闘い』で確認したように、神近市子が売防法に向けて動き出したきっきけは、風紀の乱れの是正にありました。まさに矯風であり、廓清(注)だったのです。とくにそれは米兵とパンパンを指していたのですが、皇居前広場でいちゃくつようになった戦後の日本人の行動が許せなかったのだろうと思います。

パンパンは条例や性病予防法で昭和二十年代半ばまでには壊滅に追い込まれていました(『闇の女たち』参照)。占領が終わって進駐軍はいなくなり、かつてパンパンの拠点であった有楽町や新橋周辺ではその姿が見られなくなり、洋パンたちは残った基地の周辺で生き延びました。この昭和二十八年は朝鮮戦争も休戦に入って、なお占領状態が続いた沖縄以外では、その数も激減していきます。

基地とパンパンの問題が広く知られるようになったのは進駐軍の検閲がなくなって以降です。それまで書けなかったことの鬱積もあって、進駐軍批判のわかりやすい例として、そのことが大きく取り上げられるようになるのですが、その時期に至ると、大きな問題は進駐軍が残した混血児であって、神近市子の言うような風紀の乱れはすでに終息しつつありました。

それでもその空気を彼女は利用しました。多くの日本人が敗戦の痛手と空腹に喘ぐ中、この間まで敵だったアメ公とイチャイチャして、庶民の食えないものを食い、着られないものを着ている派手でチャラチャラした女たちへの嫉妬めいた反感を利用したわけです。

他者の言葉を除いて、神近市子は、この文章で売春者の人権については触れておらず、彼女が売防法を推進したのは、パンパンへの反感を内実とした「風紀の乱れ」であり、一夫一婦制の崩壊を防ぐ意味でしかなく、おそらくここには大杉栄や伊藤野枝に対する恨みが関わっているのだと私は見ています。二人が虐殺されてなお。

注:「廓清/郭清」は「悪いものを取り除くこと」を意味し、風紀や風俗の粛正だけでなく、体内の病巣を取り除くことにも使用する言葉。それを遊廓にひっかけたのが「廓清会」だが、その背景には風紀の乱れを正し、汚いもの、下賎なものを消したい、少なくとも見えなくしたいという考え方があることを正確に表している。

 

 

戦前のやり方を復活させ、個人を道徳に縛りつけた売防法

 

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神近市子に売防法(当時はこういう名称ではなかったのですが)を作ろうと持ちかけた議員の言葉にもこの人々の本音が出ています。

 

「婦人に参政権が与えられ、人権にめざめたというのに、このごろ婦人があまりにも無造作にからだを売っています。売春をやめさせないかぎり、婦人の人権なんて絵にかいたモチです」

 

 

遊廓時代、廃娼派は「強制されている」「虐待されている」「外出も自由にはできない」「人身売買である」と批判していたわけですが、公娼制度が廃止されて、赤線時代には前借を出す店は減り、出すとしても金額が少なくなり、外出も自由になったため、それらの言葉は使えなくなります。一部の悪質な店はあっても、制度ではなく、そういう店単体の問題になったわけです。

からだを売っています」という言葉に、なおそういった時代への「郷愁」を込めているのがいじましいですが、「婦人があまりにも無造作に」とあるように、戦前、女を縛りつけてきた道徳から逃れて自分の意思で軽快に売春をするような女たちが出てしまったことを嘆いています。

戦前は貧しさのあまり、家族のためにやむなくという女たちしか鑑札を得られなかったのに、戦後になったら好き好んで売春するのが出てきたのが許せない。強制もされていないのに、自分の意思でやることが許せない、だから国家権力に依存して法律で取り締まるという発想です。道徳を国家が国民に強いる戦前のやり方を復活させたわけです。

これが道徳派の本質です。乱れた風紀を取締り、家庭を守り、一夫一婦制を守りたい。売防法制定に関与した女性らの中には、自分らの夫や息子が、そういった女たちに誘惑されるかもしれない危惧を隠すところなく表明していたのもいます(これも『性の歴史学』参照)。

当時のものを調べれば調べるほど、売防法はどういう法律なのかが面白いようにわかってきます。

このような経緯は売防法に十分に反映されています。

 

第一条 この法律は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照して売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによつて、売春の防止を図ることを目的とする。

 

最初からこういう法律なのです。

道徳に反し、公序良俗に反するから処罰するのだと宣言するような法律はいかがなものかという批判は当時から今現在に至るまで続いています。道徳と法とは別。道徳を守らないから罰していいのであれば、不倫は罰すべきであり、乱交や夫婦交換といった性のありよう、SMやスカトロのような嗜好もすべて罰するべきでしょう。道に落ちたゴミを拾わないことも、早起きしないことも、近所の人に挨拶しないことも、親孝行しないことも、友だちとの約束を守らないことも、愛国心を持たないことも、すべて罰すべきです。

※図版がないので、洲崎橋があった場所を示す石碑の写真でも。すでに橋はなく、ただの道路になっていますが、洲崎パラダイスで働く日を夢見る少女を描いた茂木好子の小説「蝶になるまで」で、あちらの世界とこちらの世界を分ける役割を効果的に担わされた橋はこの橋だろうと思われます。

 

 

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