松沢呉一のビバノン・ライフ

左褄とは変態的服装のことである-花園歌子の左褄[ビバノン循環湯 438] (松沢呉一)-4,354文字-

左褄はしきたりに非ず—古い絵葉書[付録]」の続きです。

これもポット出版のブログで公開していたもの。「『芸妓通』 花園歌子の画期的芸娼妓論」と内容は重複しています。こちらを先に書いて、メルマガで改めてこの本について書いたのだと思います。つくづく花園歌子はすごい人です。

使用している図版はネットで公開されている著作権切れの絵葉書です。図版にリンクをしています。

 

 

 

花園歌子著『芸妓通』

 

vivanon_sentence読んでいない方は先に2450「左褄はしきたりに非ず」を読んでおいてください。左褄に興味のない人も、この回は読んで欲しいんですけど、そちらを読んでおかないと意味がわからんかと。

花園歌子著『芸妓通』(四六書院/昭和5)という本があります。「通叢書」の一冊として出されたものなのですが、各ジャンルの入門書的なシリーズである「通叢書」の中で異例とも言える芸者論です。

著者はモダン芸者の代表的な存在であると同時に、吉野作造も評価した芸娼妓の研究家でもあります。この本にも蒐集した資料の一覧が出ていますが、それらを展示する展覧会を白木屋で開いているほどの内容です。

私は『売る売らないはワタシが決める』を出したあとでこの本を読んで、その内容が今現在のセックスワーク論と通底していることに気づいて驚嘆しました。画期的芸者論であるとともに、先駆的売春論なのです。

左褄のことを調べるに当たって、この本のことを思い出し、もう一度読んでみようと思い立ったのですが、うちのどこにあるかわからない。この春から国会図書館がデジタル資料をインターネットで公開していて、もしかすると、その中にあるのではないかと思って検索したら、ありました。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452794

なんちゅう便利な時代になったのでありましょうか。「通叢書」は安いものなら数百円で買えますが、いくつか高いものがあって、『芸妓通』は買えば一万円近くするでしょう。その価値が充分にある本です。それがいながらにしてタダで読めるのです。

 

 

醜業婦が醜業婦を否定する滑稽

 

vivanon_sentenceすぐに読んで、改めてこの本の素晴らしさを確認しました。とても追記では書ききれないので、改めてエントリーを上げておくことにしました。

そこまでは記憶していなかったのですが、この本では左褄について繰り返し触れていました。

左褄の起源については「未だ其の起源を明らかにした物あるを見ず」としています。この著者が蒐集していた資料はもっぱら近代のものなので、江戸の起源に行きつけなかったのだろうとも想像できますが、どうやらこの時代にすでに「芸者は芸を売るもの。娼妓とは違う」という説明がなされていたようでもあって、当然この筆者は「もともとはそういう意味ではないだろう」と睨んでいたんだと思います。

その上で、左褄とは賤民的区別であり、変態的服装であるとしています。当時の「変態」は今とは少しニュアンスが違うのですけど、もちろん、いい意味で使っているのではなく、否定的に使ってます。

著者はインテリ・モダン芸者であり、洋装・洋髪ですから、そこは差し引く必要はあるのですが、単に古い風習としてこれを廃棄すべきと言っているのではありません。ここでの左褄というのは左手によって左の褄をとるのかどうかを問わず、裾引きの着物を着ていることを象徴的に表現しているのですが、社会が「醜業婦」とする芸娼妓の表示をそこに著者は見ています。この時点で、日常的に裾引きの着物を着ているのは京都の舞妓だけだったらしくて、いつまでそんなことを喜んでやっているんだというのが著者の実感だったのでしょう。

そのことを以下の一文がよく示しています。

 

 

徳川時代には巾着切りに赤い帽子を被らせて良民と区別したさうだが、今日の社会では芸者に左褄を取らせて人間並みの『女』と区別する。私達の目から見れば今日の女性は、それが上流階級に属すれば属するほど、男性の奴隷であり玩弄物である意味に於て、一人の例外もなくみな完全な醜業婦たる資格を持つものと思はれるのだが、彼女等は昔から極めて神経質に、私達と同視されることを避けて、私達のために別誂への『醜業婦』と称する一枚看板を用意し、一歩でも其処からぬけだして人まじりしようとする者があれば、彼女等は忽ち義憤を発して、非常な勢ひでこれを排斥する。その火元がいつも極って芸者を商売敵とする婦人矯風会あたりの『細君業者』なのは、少なからず義憤の価値を減殺するが、また聊か御同情申し上げるカドが無いでもない。

 

 

すでにベーベルの『婦人論』は邦訳されていましたから、おそらく筆者はそれを読んでいたのでしょうけど、「妻と売笑婦は表裏一体の奴隷である」という視点がここにはあります。一夫一婦制のもとでの妻の座を死守すべく廃娼運動を担ってきた矯風会を筆頭とする婦人たちは、よりよい奴隷を求めていたのであり、娼妓のみを敵視したのでなく、芸妓や女給たちも敵視していました。人権は名目に過ぎません。そのこともこの本には書かれています。

 

 

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