誰のための自主規制か—心の内務省を抑えろ[2](松沢呉一)-2,615文字-
「誰が言葉を狩ったのか—心の内務省を抑えろ[1]」の続きです。
このシリーズは「ネトウヨ春(夏)のBAN祭り」からスピンアウトしたものなので、図版がない時は祭りの写真を使っています。
誰が言葉を消していったのか
もうずいぶん前から部落解放同盟は、狭義の「言葉狩り」はしていないはずです。ここで言う「狭義の言葉狩り」は、差別的文脈が存在せず、言葉自体に差別的意味合いが含まれていないにもかかわらず、「差別用語」として使えなくすることを指します。
昔っから、解放同盟は「差別かどうかは文脈で決まる」と言っていました。土方鉄も、大学時代に読んだ本でそう書いていたと記憶しています。確信はないけれど、『差別への凝視』(1974)だったんじゃなかろうか。
その実、この頃でも部落解放同盟は文脈を問わずに糾弾していた事実があるので、どこまで信用していいもんやら、私も今なおわからないですけど、差別的文脈を伴うものについては別として、現実には言葉だけをとらえて批判することは現在ほとんどない。そこは一定の反省があるのだろうと見ています。
「言葉狩り」の始まりを作ったのは解放同盟(その前史となる行政闘争については解放同盟の前身である部落解放全国委員会が着手したもの)であり、解放同盟が「言葉狩り」の中心的役割を担っていたのは事実です。しかし、問題は解放同盟だけにあるのか。解放同盟を批判すれば済むのか。そもそも私らは解放同盟を批判する資格があるのか。
過去の記録を見ると、抗議しているのは必ずしも解放同盟ではなく、さまざまな団体や個人です。それらの抗議を想定して、直接、言葉を使えなくしている、あるいは使いにくくしている主たる存在はメディアです。過去に抗議が来たものだけでなく、来そうだという可能性だけで言葉を集めて「言い替え集」「書き替え集」を作る。ひとたびできあがった差別用語集に掲載された言葉は、要注意語レベルであっても使えなくなったりします。参照のためのものがそうしなければならない規則になる。調べ、考え、検討することが面倒だからです。
その結果、書き手が信念のもとで使っても書き替えを命じられ、それに抵抗すると何時間、時には何日にもわたるバトルをしなければならなくなります。
「パンパン」の文字を大書した時代
『闇の女たち』に書いたかと思いますが、雑誌で「パンパン」を歴史的文脈で使用したら書き替えを命じられ、二日にわたるバトルの末、私は「抗議の類いはすべてこちらに回してくれていい」という条件を出し、特例として使用することができました。ここは譲れない。
もともと蔑視のニュアンスがなかった、少なくとも薄かったこの言葉を蔑称にしたのは誰か。その連中に言葉を譲り渡すわけにはいかない。しかし、そこを譲らないと、とてつもない労力が必要になり、疲労します。
もちろん、この言葉を使ったところで抗議などありはしません。今に至るまで一度もない。そもそも私のように、譲るべきではないところでは譲らない書き手に原稿を頼まないメディアが多いってこともあるでしょうけど。編集者も私のような書き手は面倒ですからね。
『闇の女たち』は、歪められてしまったパンパンの実像を取り戻したいという思いで作った本です。その思いがあったからずっと調べてきたわけで。
「三島由紀夫も参加したパンパン座談会」で取り上げたように、雑誌「改造」1949年月号は「実態調査座談会 パンパンの世界」を掲載していて、表紙にも「パンパン」という言葉を大書しています。
この頃すでに蔑称として使用することもあったでしょうけど、印刷物においてはそのニュアンスは感じられなくて、この座談会がそうであるように、「どうとらえたらいいのかわからない社会現象」を表す名称であり、時に敬意さえ見られます。
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