松沢呉一のビバノン・ライフ

SWASH編『セックスワーク・スタディーズ』発売のお知らせと要友紀子著『風俗嬢意識調査』について-(松沢呉一)-[無料記事]-2,702文字-

 

『セクスタ』が発売になります

 

vivanon_sentenceSWASH編『セックスワーク・スタディーズ』がそろそろ店頭に並びます。

中身がわからなすぎるという方々もいらっしゃいましょう。ネットで一部読めるようになるはずですので、もう少々お待ち下さい。待てない方は店頭で見てください。

この本は売れて欲しい。地味に売れ続ける定番になって欲しい。そうすると次が出せます。翻訳もので出して欲しいものがあるのです。私自身が読みたいだけですけど、海外の事情についても情報が足りない。

この手の翻訳もので売れたケースはあまりなく、だから出版社は二の足を踏むのですけど、「セクスタ」がそこそこ売れればその可能性も出てきます。先日、編集者にタイトルを伝えておきましたので、あとは「セクスタ」が売れるのを待つだけです。

そのために、本の宣伝になる記事を出しておこうと思ったのですが、私は読み合わせの会議をさぼっているため、全部はまだ読んでなくて、中身については触れにくい。

読んだらなんか書くとして、過去の関連のものを循環させようと漁っていたら、SWASH代表の要友紀子がかつて手がけた『風俗嬢意識調査』について書いたものが出てきました。それを次回から循環しますが、その前にこの原稿について解説めいたことを書いておきます。

 

 

セックスワークという言葉

 

vivanon_sentenceSWASHつながりというだけでなく、この原稿では「なぜセックスワーク/セックスワーカーという言葉が必要とされるようになったのか」の説明になっています。

風俗嬢意識調査』の対象はヘルス嬢ですから、このタイトルでいいのですが、業種や性別を横断して使える言葉が必要です。「セックスワークという言葉を使う事情-[娼婦の無許可撮影を考える 10 ]」に書いている通り。

もうひとつ大事なのは「仕事であること」を前提にするためです。仕事である以上、労働としてのよりよい環境を求めるのは当たり前。蔑視を減らすよう求めるのも当たり前。

その性質のためにこの言葉は決して世間の受けはよくない。「ビバノン」でも、タイトルに「セックスワーカー」と入れるより、「風俗嬢」「ソープ嬢」「ヘルス嬢」とした方がアクセスが多いのです。

日本でこの言葉が使われるようになってからかれこれ20年、一部ではあれ、「性労働」「性労働者」という言葉を使っていた時代から半世紀ですから(もっと前から使われていた可能性もあり)、馴染みがないってわけではなく、意味がわかりにくいってわけでもなく、理解されるがゆえに誘引力に欠けるのです。だからこそ使う意味がありますが、使うと読まれないジレンマがあります。

客の立場としては「仕事として見たくない。自身が主体的に選択して欲しくない」という欲望があって、これの背景にあるのは道徳です。その道徳と「セックスワーク」という言葉を嫌うフェミニストの道徳は同じです。どちらも泣きながら嫌々働く風俗嬢が大好き。

要友紀子がよくぼやいていますが、SWASHに「話を聞きたい」とやってくる人たちがいるわけですよ。国会議員だったりもするのですが、フェミがかった人たちが知りたいのは現実ではありません。道徳に合致する事例を知りたがるだけなのです。「もっと悲惨な例はないのか」と。こういう浅ましい国会議員の名前は出していいんじゃないかな。もう落選したけど。これはテレビや雑誌の需要ときれいに合致しています。道徳を疑えないただの俗物です。落選して本当によかった。

この道徳は「家族のために売春するのはいいが、主体的な選択は認めない」という遊廓を支えていた道徳にも通じますし、歴史を改竄する人々の動機もこれです。主体的に選択をしたという話を強制されたという話に改竄をし、ハッピーエンドで終わる話を悲惨な結末にすげ替える。先日タグ付けをしながら「歴史を改竄した『みんなは知らない国家売春命令』」シリーズを読み直して怒りが甦りました。パクった上にデタラメな改竄です。よくできるものです。それが幾度も新装版として出され、研究者でさえこの本を参考資料に使用しています。

兼松左知子『閉じられた履歴書』テレビ版「吉原炎上」曽根富美子の漫画『親なるもの 断崖』もすべてそうですけど、検証する人がいない。私ごときがいくらやってもまったく相手にされない。こうしてデマがいつまでも流れ続け、新たなデマを生み続けています。

どいつもこいつも女は意思なき存在でいて欲しいのです。この姿勢が、婦人運動が戦争に積極関与した事実に向き合わない人々を生み出してもいます。女たちは黙って男たちに従っていたのだと。それのどこがフェニズムだ、ボケ。

こういった歴史から抜け出すためにも「セックスワーク」という言葉が必要です。

 

 

浄化作戦が始まる前の東京のヘルス嬢

 

vivanon_sentence次回から出す原稿は『風俗嬢意識調査』が出る前にポット出版のサイトに書いたものです。告知のつもりのこの原稿を出してからさらに出るまでに時間がかかったんじゃなかったかな。この本は水島希との共著ということになってますが、調査を手がけたのは要友紀子であり、当初は単著として出る予定だったので、この原稿の段階では要友紀子著ということになってます。仮のタイトルもちょっとだけ違っていたのですが、そこは直しました。

この本は13年前に出たものであり、調査自体はその2年ほど前のものだったはず。「石原都政による浄化作戦が始まる直前の東京のヘルス嬢」という条件の調査であって、デリヘルが中心になった今現在では相当に環境が変わっていつつも、働く意識としてはそれほど大きな変化はないだろうとも思います。

よく「貧困風俗嬢」なんて記事が雑誌では組まれていますが、おおむね「そういう記事が受けるから」ということであって、それが時代の変化を正確に表しているとは思いにくいところがあります。「店舗から無店舗」への変化によって、「店」「ロケーション」というところでの差がつけにくくなって、もっとも差をつけやすい料金が全体に安くなっていることは間違いない。ランニングコストが店舗よりかからないという事情もあって。また、人気、収入ともに、個人差が広がっている可能性はあって、その分、「稼げない層」が増えている可能性もありますけど、なにしろデータがないので、なんとも言えない。何を語るにもデータが必要。

といった話を当時要友紀子にもよくしていて、たぶんその影響もあったためにこういった調査を彼女は手がけたのだろうと思います。

この本については出て以降に書いたものもあって、それらもそのうち循環するかも。なお、『風俗嬢意識調査』の紙の本はすでに在庫がありませんが、Kindle版が購入可能です。

では、「相談できる客は客ではなくなる—要友紀子著『風俗嬢意識調査』の読み方[上]」にお進みください。

※台北でスピーチをする要友紀子

 

 

 

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