松沢呉一のビバノン・ライフ

あの時代より我々は自由になれたのか?—伊藤野枝と神近市子[13](最終回)-[ビバノン循環湯 476] (松沢呉一)-4,464文字-

「エロス+虐殺」を許せなかったのも伊藤野枝への嫉妬か?—伊藤野枝と神近市子[12]」の続きです。

 

 

 

竹中労による神近市子評

 

vivanon_sentence竹中労は、雑誌「」(工作社)一九八〇年六月号掲載の「大杉栄の『性の倫理』」で神近市子を強く批判しています(夢野京太郎名義の原稿)。

 

 

葉山日蔭の茶屋事件は、文字通り一個の痴情沙汰であって、たとえば阿部定の陰茎切りとその精神において相等しいのである。

 

 

そうであるが故に、ここでの神近市子は、戦後の彼女の存在と違って信用するに足るのです。好きか嫌いかは置くとして。ところが、神近市子は、その自分を否定してしまいました。

 

 

老残の神近女子が「プライバシー侵害」として告訴に及んだのは、彼女自身があの刃傷沙汰を、いえば若き日のあやまちであり、ハレンチむざんな痴情事件として、半世紀もの歳月を恥じてきたことの証明であった。

 

 

前回見たように、神近市子が映画「エロス+虐殺」の上映差し止めを求めたのは、ただそれを恥じていたのではなく、もっと俗な欲望に駆られていたからだろうと思えるのですけど、どちらにしても意味は同じです。神近市子の過ちは、大杉栄との肉欲に溺れたことではなく、嫉妬の末に刺したことでもなく、それを正面から受け入れられなかったところにあります。

 

 

戦後日本人は自由になれたのか?

 

vivanon_sentence秋山清は『大杉栄評伝』で、「これが六十年も以前の事件ではなかったら……」と書き、大杉栄の「フリー・ラブ」が受け入れられなかったのは、当時の人々はまだ「明治以来の家族的なエゴイズムの、裏を返せば自我の解放をわがものとしていなかった」ことにあるとしています。

たしかに全共闘の時代、ヒッピーの時代、ウーマンリブの時代ともなると、それぞれに既婚の制度への疑問も強まって、結婚制度に縛られない、特定の関係に縛られない男と女は出始めていていました。そのことを踏まえればこう言いたくなる気持ちはわかります。

しかし、竹中労は「大杉栄の『性の倫理』」でこれも批判しています。

 

 

大先輩に異議をとなえるのは心苦しいが、秋山清先生、それはちがうんじゃないでしょうか? 今日といえども、あるいはむしろ今日のほうが、“自由な魂”への軛はより重くきびしいのでありますまいか? なぜならすくなくとも、大正デモクラシーの時代に、“公序良俗左翼”は公然とは存在しなかった。荒畑寒村にしても、(略)自由恋愛まで否定しているわけではない。一夫一婦制を階級社会を支える(旧)道徳の遺制であると考えていた点では、大杉らのアナキズムらに近いところに立っていた。戦後のボルシェヴィキ=日共は、道徳的に最も保守であり、とりわけて性の問題に関しては、ポルノ映画への攻撃がもの語るように徹底した公序良俗を金看板にしている。(略)アナキズムの“個人中心主義”をボク滅する姿勢において、日共といたしましては戦前よりも徹底しているのであります。

 

 

「戦前は不自由だった、対して戦後は自由だ」と一律にとらえることに対して「本当にそうか?」と問う竹中労は正しい。「どこをどう見るか」ですから、これに対しても一律に「戦前の方が自由」とはとうてい言い得ないとして、竹中労が言う範囲においては、一定の正しさを含んでいます。

出版には検閲があり、集会も途中でストップさせられる不自由な社会だったからこそ自由を求め、とくにアナキストの場合、この自由は当然個人の自由を主とし、恋愛の自由、セックスの自由も含まれていました。

対して戦後の左翼は個人主義に基づくのではなく、個人主義は社会全体にほんの少しは浸透しながらも、左翼の中ではボルシェビキが戦後は力を持って、アナキズムの系譜は潰えたままって感があります。アナ・ボル論争はアナ派の完全敗北です。

その果てに今や共産党までをリベラル勢力にカウントする人たちがいます。英語においても保守=conservatismに対置するものとしてliberalが使用されていて、左翼や革新という意味になってしまっているので、自由を求めるかどうかとは別の用語であり、そういった英語の翻訳が増えれば日本語が引っ張られるのはやむを得ず、そうなってしまったリベラルに共産党が入るのもおかしくはないですけど、左翼、革新という日本語があるんですから、リベラルはリベラルとして残して欲しかったものです。

かといって広く戦前の方がリベラルであったとはもちろん言えず、文化人、知識人の中にも旧来の道徳に依拠する人たちは多く、キリスト教道徳に依拠する人たちも力をもっていたことは、クリスチャンの女流教育家、たとえば「新しい女」を悪魔よばわりした津田梅子を見ればわかります。そこまで言われ、キリスト教道徳に距離を置いていたはずの平塚らいてうや与謝野晶子の書いていることを見ても婦人運動家の多くは、ここで竹中労が言う「自由な魂」から外れることがわかりましょう。

ただ、そこから自由でいる、少なくとも自由であらんとした文化人、知識人たちもいたこと、左翼一般に性的にリベラルな人たちが多かったのも事実であって、少なくとも一律ではない。文化人や知識人だけでなく、広く一般の人たちもそうであったことは「ビバノン」でも繰り返してきた通りで、だから坂田山心中で八重子が処女であったことが衝撃だったのですし、処女で娼妓になるのは自己申告でも1パーセント台だったわけです。

 

 

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