古垣鉄郎が「ヒトラーを暗殺しても意味がない」とした理由—日本におけるヒトラーの評価[4](松沢呉一)-3,456文字-
「ポグロムとホロコースト—日本におけるヒトラーの評価[3]」の続きです。
あとは戦争
ヒトラーが見せてくれたゲルマン民族による理想のドイツを信じて、その実現まで国民は耐乏生活をするしかない。現実に国際関係の悪化とともに肉や酪農製品は手に入れられなくなります。それらを海外から輸入しようにも、金は軍事費に回る。国民は夢と現実を秤にかけて、これを耐えることができるのかどうかと古垣鉄郎は問いかけます。
ナチスの禁欲的な姿勢は、もともとヒトラーが持つ体質や美学みたいなものが反映されたものでしょうが、それを国民に強いる目的もあったのでしょう。総統を見習えと。
しかし、これには限界がある。
ヒトラーは社会ダーウィニズムから、組織内においても生存競争がなされ、自然淘汰によって強い者が生き残るべきと考えて、ナチス内での対立をやらせていたところがあるのですが、これがヒトラーの管理下でなされている限りは問題がなく、むしろ組織をコントロールしやすくなる。
しかし、それが自分の立場をも危うくさせるところに至ることは避けなければならず、そうなりかねない分子は粛清してきました。もしそれが抑えられなくなった時にはこの点でも限界に達し、戦争しかないのだというのがこの分析です。
前回の引用文中に出てくるシャハトはヒャルマル・シャハト(Horace Greeley Hjalmar Schacht)。銀行家であり、ドイツの財界にナチスに協力するよう根回し、軍備増強を実現して貢献してナチス政権の経済相となり、四ヶ年計画の責任者でもあったのですが、ヒトラーとはいくらかの距離を置き、ナチス政権末期には暗殺計画に関与したとして逮捕されています(強制収容所に送られますが、ナチス崩壊により解放され、ニュルンベルク裁判では無罪に)。
古垣鉄郎ナチス崩壊の要因がここにありそうだと早くから見抜いていたようです。
独裁を国民は望んだ
古垣鉄郎による的確な洞察はさらに続きます。
更に又、至難の四ヶ年計画成功の暁に於ても、大ドイツ抵抗実現の野心を満喫させられた六千六百万のドイツ民衆の傍若無人ぶりを如何にして制御し、緩和するかは最も困難な課題でなければならぬ。蓋し強大無敵の軍備を与へられたドイツは最早、今日まで十七年間要求し来った所謂平等権の確立だけでは満足し得なくなるであろう。水平線下に沈淪してゐてこそ、水平運動の意義があるけれども、一度び水平に姿を現はしたドイツは、次にその実力を以て最後の勝利の獲得まで野心の満足を求めないですまされようか?
ナチスは独裁者たる狂った天才ヒトラーの強権によって動かされているだけでなく、国民の意志に突き動かされている側面があったことを見抜いています。国民は酷薄でありますから、計画が実現しなかったらあっさり手のひらを返すでしょうが、実現した日にはもう国民を誰も止めることはできなくなります。
私が『我が闘争』を読んで、「ああ、そういうことだったのか」と認識を改めたのはこの点です。
選挙でナチスが選ばれたことは知ってましたが、美辞麗句を並べて、国民は騙されたのだとばかり思っていたら、ヒトラーの独裁は、国民が支持したものであり、予めヒトラーは独裁を宣言していて、それを国民は信任しました。「国民を騙し、選挙で選ばれた途端に独裁制を敷いた」のではないのです。
以下は『我が闘争』より
ゲルマン民族の真のデモクラシーは此の如き不正直な議会政治(松沢注:ユダヤの民主主義を指す)と全く趣を異にする。ゲルマン民族のデモクラシーでは、一人の指導者を自由に選挙して、これに行動の全責任を負はせる。事ごとに多数決で決するといふが如きことをせず、一人の指導者に決めさせる。一旦決めた以上は、指導者は生命がけでこれが全責任を負ふのである。
一人が全責任を負はねばならぬやうでは、そんな危い仕事に進んで身命をなげうつものはゐなからう、といふ者があるかも知れぬが、それに対しては唯だ次の如く答へればよい。
御心配は有り難いが、実は下等な野心家や臆病者が抜け路や廻り路を経て国民を支配する地位に辿りつくことが出来ないやうにし、責任を重くして無能な者や柔軟な者は聞いただけでも尻込せざるを得ないやうにしてあるのがゲルマン民族のデモクラシーである。
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