松沢呉一のビバノン・ライフ

強制収容所の同性愛者—ナチスと同性愛[10]-(松沢呉一)

同性愛者弾圧の時代へ—ナチスと同性愛[9]」の続きです。

 

 

 

警察およびSS内の同性愛者は死刑に

 

vivanon_sentence1938年9月、ヒムラーは同性愛者を死刑にすることをほのめかす演説をしております。

1941年11月15日、ヒトラーはこれを追認する「SSおよび警察の純潔維持のための総統命令」なる極秘命令を出しています。

H・P・ブロイエル著『ナチ・ドイツ清潔な帝国』から。

 

 

1 SSおよび警察から同性愛的性向の惰弱者を一掃するために、総統はつぎのように決定をくだされた。すなわちSSもしくは警察のメンバーで、他の男子と猥褻行為をおこなった者、もしくは猥褻行為のために悪用された者は、年齢のいかんを問わず死刑をもって罰せられる。軽度の場合も、六年以上の懲役もしくは禁固刑に処すことができる。

2 この総統命令は、誤解を招くおそれがあるため、公表はされないものとする。

 

 

「誤解」というのが何を意味するのかわからないですが、公表されずに死刑にされるってことです。

ナチス政権下では、裁判が二種あって、ひとつは普通裁判、もうひとつは特別裁判で、後者はよりナチス主導の裁判です。ナチス関連の本には民族裁判という言葉もよく出てきますが、これは特別裁判のことだと思います。

さらに「長いナイフの夜」がそうであったように、裁判を経ない処刑もありました。おそらくこの総統命令での死刑は裁判を要しないものではなかろうか。

これに対してはゲッベルスも歓迎しています。

 

総統の秘密命令をよろこんだのは、SSの人種狂信者ばかりではなかった。上品ぶることはしないゲッベルスでさえ、日記にこう書きしるした。「きわめてありがたい命令だ。これでエリート組織はこの癌のような病から守られるだろう」

 

既存の道徳を嫌悪するゲッベルスも、民族のための障害になるという論理を採用していたのだろうと思われます。自身のように、家庭で子どもをいっぱい作った上でのヤリチンはかまわない。ユダヤ人を殺すことを受け入れている以上、同性愛者を殺すことを拒否する理由はない。

※映画「Anders als die Andern」より。この映画については「“クィア・エルドラド”ヴァイマル共和国—ナチスと同性愛[3]」参照

 

ブルンヒルデ・ポムゼルが語るユリウス・イェーニッシュ

 

vivanon_sentenceこの措置はあくまで警察とナチス内のことですが、死刑にはならないまでも、同性愛は違法だったのですから、刑務所に入れることができましたし、1933年に強制収容所ができて以降は、そちらに入れることができました。強制収容所は刑法175条にはっきり反していなくても、その疑いのある人たちを入れることができたのだろうと思います。予防拘禁という考えです。裁判を経ていなくてもいい。

しかし、絶滅収容所ができる前から、SSが管理する強制収容所の方が刑務所より環境は悪く、死亡する率も高かったようです。

法が厳しくなるとともにゲシュタポは同性愛者を見つけ出しては強制収容所に送ります。これもユダヤ人同様に、密告の対象です。

たぶんその頃の話だと思われるのですが、ブルンヒルデ・ポムゼル /トーレ・D. ハンゼン著ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白』にこんな話が出ています。

 

 

あのころ、放送局でアナウンサーの先駆けだった人がいるの。ユリウス・イェーニッシュといって、とてもすばらしい人だった。彼なしでは、放送局全体が成り立たなかった。朝昼晩にニュースを読んでいたそのイェーニッシュが、強制収容所に入れられたの。「彼が? いったいどうして?」「ユリウスは同性愛者なんですって」「同性愛者? なんてこと!」。当時、同性愛は言語道断の恐ろしいことだと思われていた。人でなし扱いをされた。ユリウス・イェーニッシュは親切でいい人だった。「ええ、そうね、親切な人よ。でも同性愛者なの」。

 

 

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